2009年7月5日

7月5日2009年の週報に掲載

 このコラムは、いつもより早めに書いています。皆さんの目に触れている今は、私は修養会も終わり、サンファナンド教会で礼拝を守っている最中だと思います。

 まだハワイにいる今から、最高に恵まれ、感謝で一杯ですと、報告させていただきます。ホノルルの礼拝も、ウィルソン美代子さんの証しを通して、神の恵みが溢れている様子が目に浮かびます。

 さて、ハワイ聖会はすでに終わりましたが、神の言葉がより深く心に迫ってきました。参加できなかった方は、是非CDをお聴きください。特に3回目の集会で、教会にとって、クリスチャンにとって、魂の救いにまさるものはない。福音を伝えるという、この務め以上の働きはない、と明確に語られました。
教会は、何のために存在しているのか? それはこの世に向かって、イエスを証することです。この第一の目的を見失ってはならないことを改めて強く思わされました。

 さらに、この目的遂行のための妨げが、実は私たち自身の中にあるのではないか? 宣教の壁は教会自身が作っているのではないか? という語りかけは、大きなチャレンジでした。私たちの都合や、状況や、面子や、文化など、つまりどうでもいいものが、最も大切なことを妨げているのではないか? 

 今一度、私たちは、本当に最も大切なことのために、つまり福音宣教のために、自らを捧げているだろうかと、聖霊が語ってくださったようにう思います。ブレイクスルー! 壁を打ち破りましょう。                       

関牧師

1 件のコメント:

dolphinblue さんのコメント...

「教会の存在=イエスを証するため」自分を含めいったいどれほどの信者がそういう意識を持って教会に来ているだろう。「教会自身が壁を作っている」文化習慣などどうでも良いことが一番大切なものを後回しにする。母国での生活を捨て意気揚揚と来た宣教師でさえ10年もいると「ここは日本だから」と言うし、信者もいろんな言い訳を理由にバックスライドしていく。どこにいようと変わらぬ愛を注いで下さるイエス様にどのように自らを捧げることができるだろうか・・・。宣教150周年?のこの時、もう一度足元を見ました。