2009年10月22日

10月25日2009年の週報に掲載

 Gospel & Worship in Hawaii 神さまからの最高のプレゼントでした。 内藤容子さん、音楽宣教師という名の通りに、神のメッセージを参加者の魂に届けてくれました。 トリニティー、賛美の喜びを一杯に伝えてくれました。 阿部篤志さん、永井健二郎さん、最高の演奏でサポートしてくれました。 日本から同行してくれたスタッフの一人一人も精一杯に支えてくれました。皆さん、本当に、ありがとう!

 再三お伝えしていますが、このイベントは「心を動かされた者達」のパッションから始まりました。そしてビジョンは、集められた方々が主に触れられること、主に出会うことです。
 だから、コンサートに集まった方々の心にも、主が触れてくださって、何かが動いたと信じます。 これから、どのような実が結ばれるかが楽しみです。そして刈り取りも。

 この働きのために、それぞれが賜物を活かして用い、様々な形で参加してくれました。 特に招く会として、陰に日向に奮闘された皆さん、こんなに素晴らしい機会を与えてくれて本当にありがとう! その労苦に主が、豊かに報いてくださいますように。

 皆さんの心が動くとき、そこにパッションが与えられます。そしてビジョンが与えられます。そして賜物が与えられます。 そしてイベントの内容や大小に関わらず、確かに神のミニストリーが起こっていきます。
心が動いたら、何かが始まります。 主があなたに触れているからです。
関 真士牧師



2009年10月15日

10月18日2009年の週報に掲載

 日本では紅葉が真っ盛りとなっていることでしょうね。よくハワイは常夏だからと聞きますが、私も5年近くハワイに住んで、ここにも四季があることが分かり始めました。 とても微妙な変化ですが、ああ秋だなと感じる今日この頃です。

 そんな秋の静かな夜、内藤容子さんのCD「十字架への道」を聴く。なんて贅沢な時でしょうか! 歌詞も旋律も歌唱力もどれも素晴らしい! しかし、それだけではない、何かが心に迫ってくる。 そこに確かなメッセージがあり、そのメッセージを語りかけているお方の存在を想起させるのです。

 内藤容子という人物を通して、その賛美を通して、語りかける神がそこにご臨在されるのです。
このイベントは、ただ集会を催すためにゲストを呼んだのではなく、この賛美に心を動かされた者達に、情熱とビジョンが与えられたところから始まったのです。 そして結果としてコンサートという形となったのです。

 そして、同じように、日本でも心動かされた大勢の方々が、手弁当でこの働きに参加してくださっているのです。 日本の教会から祈りをもって送り出されて来た方々です。

 私たちも、祈りと信仰をもって、この働きを受け留めましょう。 そして一人でも多くの方々の心に主が触れてくださることを期待しましょう。 この秋は、魂の収穫の秋とさせていただきましょう。

関牧師



2009年10月8日

10月11日2009年の週報に掲載

 いよいよ内藤容子さん一行がハワイに来られます。内藤さんは、最近2枚目のCDをリリースしましたが、発売と共に売り切れたと聞きました。私もかなり聴き込んでいます。音楽にはそれぞれの好みのジャンルというものがありますが、内藤さんの賛美は、ジャンルを超えて、聴き手の魂に語りかける力があります。この賛美を生で聴けるというのが本当に楽しみです。

 そして、何よりも期待で一杯なのは、まだキリストに出会っていない方々が、この賛美を通してキリストのもとに導かれるだろうということです。音楽は神が人類に賜った恵みです。その旋律は、理性や知性の壁をいとも容易に越えて、魂にまで届きます。内藤さんの賛美は、心に染み込むような美しい旋律と共に、目の前の一人に語りかけるような歌詞と御言葉そのままの歌詞、それらが一つとなって、聴き手の魂に迫ってきます。

 今回のイベントは、プログラムから始まったのではなく、この賛美で心が動かされた、というところから始まりました。「内藤容子をハワイに呼ぶ会」が結成され、それが「Gospel & Worship in HAWAII」となりました。コミットして働いている方々を中心に、多くの協力者に助けられてここまで来ました。「主にあって、あなたがたの労苦は決して無駄になることはない」と信じています。

 今回はたくさんのサポートミュージシャンも自腹で参加してくださいます。トリニティによるゴスペルワークショップ。公開リハ、アラモアナセンターステージ、KZOOへの出演、礼拝奉仕などがあります。どうぞ祈ってください、そして宣教のために参加してください。

関牧師



2009年10月4日

10月4日2009年の週報に掲載

 先週は、喜びの洗礼式がありました。朝6時、朝焼けの空のもと、アラモアナビーチに喜びがあふれました。

 洗礼は、クリスチャンになった人が、その証として受けるものです。クリスチャンとは日本語ではキリスト者です。それは、キリストを信じて、キリストにあって生きる人ということです。

 私たちは、いつの間にかクリスチャンになっていた、ということはありません。人生のどこかで自覚的に「私は、イエス・キリストを信じます」という決断と告白が必要です。ローマ書10章10節に「人は心で信じて義と認められ、口で告白して救われる。」とあるからです。

 実際に心の中では、「私もクリスチャンになりたい」と考えている方がおられると思います。その時に、何をどうしたらクリスチャンになれるのかが分からないということもあるでしょう。そのような時には次のステップをお勧めします。

 まず、信頼できるクリスチャンの友、あるいは牧師に声をかけてください。どのように祈るのかを教えます。そして、一緒にイエス・キリストを信じる祈りを捧げるのです。それが告白になります。

 その祈りの時間は短いものかもしれません。しかし、それが永遠の命への入り口となります。人生において、ただ一度だけの祈りです。 そこで、イエス様を信じた者が、その証として洗礼を受けるのです。

関 牧師