2011年1月28日

1月30日2011年の週報に掲載

信仰の体験断である「証し」は、本当に恵まれますね。ただの理屈ではない、そこには「体験」という確かな事実があるので説得力があります。中川祐真兄の証しを通して、一人の若者が、主イエスに出会うことによって、真の自分を回復し立ち上がっていく。そればかりではなくこの主の愛を独り占めにしてはいけないと、今や伝道に燃える日々です。

私は、前もって原稿をもらいながら、本当に神の恵みに圧倒されました。ここまで苦しい所を通ってきたとは正直知りませんでした。ご両親も心を痛めたことでしょう。しかし、全てのことが益に変えられました。ハレルヤ!

一人の人が主のもとに導かれ、救われるまでに、無数の人々がその救いのドラマに登場します。お母様からの手紙、彼が教会に来てから、関わった全ての人、その一人一人の存在が、彼の救いのドラマを完成へと導いたのです。私たちは、キリストの体として一つの働きのために用いられているのです。天国の喜びの歓声が聞こえるようです。

「この愛を独り占めしてはいけない」本当にそうですね。この愛は、私たちの内で、満ち、溢れ、流れていくのです。この流れを留めることなど人間には出来ないのです。

今日も、この礼拝において、主に出会う人々が起こされてまいりますように、心より祈ります。      

関牧師



2011年1月21日

1月23日2011年の週報に掲載

「父が生きれば、家庭が生きる」 このテーマで3月4日~6日の三日間に亘って「父の学校」が開校されます。「父の学校」とは、韓国で始まった運動で、韓国内では社会現象にまでなっているそうです。離婚調停に来た夫婦に、担当者はまず「父の学校」に行くように勧めるそうです。

日本でも、拡がりをみせており、この学校を通して、多くの父、男性たちが、本来の姿を取り戻しています。それによって夫婦、親子の関係が癒され、回復しています。

「父」という存在は、その家庭の大黒柱です。家族を守り、正しい道に導き、善悪を教え、何よりも愛をもって家庭を治めるのです。しかし、父が会社に取られたり、父親自身が、どのように家庭を治めてよいのか分からずにいる事が多々あります。暴力的であったり、無関心であったり、本人にとっては、それが普通に思えることであっても、実はそうではないということがあります。

「父の学校」では、本来の父親としての姿を取り戻すために、共に学んでいきます。「男性」であれば、どなたでも構いません。是非、共に学んでみましょう。またこの働きのためにお祈りください。

日本から、10名以上のスタッフが手弁当で参加されます。宿泊場所も求めています。父が生きれば、家庭が生きる、さらに教会が生きる、社会が生きる、全てが生きる!

関牧師


詳しくは「父の学校」のチラシを見てください。


2011年1月13日

1月16日2011年の週報に掲載

最近作成されたDVD「442」を見ました。映画というより、ドキュメンタリーです。第二次世界大戦における日系人で編成された442部隊の歩みを振り返ったものです。ハワイでも日系人による100部隊が編成され、やがて442部隊と合流しヨーロッパ戦線に送られ、米軍史上最も多くの勲章を得たと言われるほどの戦果をあげます。

442部隊の生存者のインタビューを交えながら、当時の日系人の置かれた難しい立場が鮮明にされていきます。そして彼らは自らがアメリカ人であることを証明するために、命をかけたのです。

この日系部隊の、勇猛果敢な戦いぶりが取り上げられ、英雄として扱われ、数多くの勲章が授与されていくのですが、一人の方は、「私は英雄などではない、ただの人殺しだ。私が勲章を付けているのは、家に帰ることが出来なかった(敵も含めて)人々のためなのだ」と語っていたのが印象的でした。

ハワイ選出の上院議員ダニエル井上氏も、善良なキリスト教徒で、教会学校で教えていた自分が、戦場で銃を撃ちまくるという、その矛盾した自分の姿を語っていました。多くの兵士たちが、戦場のトラウマで苦しんでいます。しかし、どうせ話しても誰も分からないと、家族にも話せず沈黙していた方々が語り始めたのです。戦争に英雄などいないと。私たちは、この命をかけて戦った方々から、何を学ぶのか?是非ご覧になることをお勧めいたします。

関牧師




2011年1月7日

1月9日2011年の週報に掲載

KIKUテレビで放映されていた『竜馬伝』において、昨夜とうとう竜馬が暗殺されました。しばし衝撃でありました。それにしても、一介の浪士が何の権力も権威もなく、ただ「志」によって日本を変えたことに素直に感動します。

それにしても土佐、長州、薩摩といった地域から、幕末の士が生まれたことは興味深いものです。今のようにインターネットや携帯のない時代、どのようにして情報を交換し合ったのか? もちろん馬で徒歩で手紙でということですが、それでも日本全体が明治維新へと進んでいった、この事実は驚きです。

明治に入って9年、札幌農学校にクラーク博士が赴任されました。彼もまた「少年よキリストにあって大志を抱け!」という有名な言葉を残しました。彼の影響によって多くの若者たちが日本のリーダーとして育っていきました。(新渡戸稲造、内村鑑三たち)

新しい一年にあたって、私たちもキリストにあって「志」いただきましょう。
私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つしてください。」(ピリピ2:2)

「志」や「夢」を持ちにくい時代でもあります。しかし、私たちは、この時代にあって、「志」高く掲げ、キリストにある維新を目指して、世の光として前進していきましょう。

関牧師