9.11 この日は、3.11と共に、忘れることの出来ない日です。2001年9月11日、米国を襲った同時多発テロは、その後、アフガニスタン、イラクと戦火が拡がり、それは今も継続中です。
このテロに関しては、今も色んなことが言われます。ネットを通して、様々な情報が入り乱れています。アメリカのやらせ説などなど、一般の報道には出てこない裏の真相というものがあるでしょう。どれが真実なのか見極めることはとても大切ですし、情報に振り回されない冷静さも必要です。
しかし、誰もが認める確かな真実があります。それは、何の関係もない一般市民が死んだという事実です。この事実こそ、私たちが最も関心を持ち、忘れてはならないことです。
平和を願いながらも、平和のための戦争を繰り返す、人類の愚かさを痛感します。その人類には、もちろん私も含まれているのです。その愚かさを抱えながら、毎主日の講壇に立ち、神の御言葉を取りついでいるのです。
私たちは、9.11のこの日、何を考えるのでしょうか? この大きな出来事を通して、小さな自分の心に何が映るのでしょうか? 神を第一として、愛し合い、赦し合い、仕え合うことが出来たら…、それは単なる理想でしょうか? 私たちは、自らの愚かさを直視しながら、しかし、だからこそ神の言葉に立ち、「平和を造りだす者」としての使命をひたすら果たす者でありたいと思います。
関牧師
0 件のコメント:
コメントを投稿