お話したいことが山ほどありますが、今回の訪日で一番感じたことは「人とのつながり」です。帰国者クリスチャンのサポートも、被災地支援も、すべて人とのつながりがポイントなのだと思いました。
ホノルル教会として、日本ために、日本の教会のために、被災地のために何が出来るだろうか? と考えていましたが、まず人と人をつなげること、人を支援すること、そんなことを考えています。 そして、それが実現実行できる教会として、もっと力を持ちたいと心から願います。
お話したいことが山ほどありますが、今回の訪日で一番感じたことは「人とのつながり」です。帰国者クリスチャンのサポートも、被災地支援も、すべて人とのつながりがポイントなのだと思いました。
ホノルル教会として、日本ために、日本の教会のために、被災地のために何が出来るだろうか? と考えていましたが、まず人と人をつなげること、人を支援すること、そんなことを考えています。 そして、それが実現実行できる教会として、もっと力を持ちたいと心から願います。
今日の聖日は、私は東京の中野にある新井ホーリネス教会でメッセージのご奉仕をしているはずです。そこは吉田文人兄がインターン生として奉仕しています。4年間の学びで、たくましくなっているであろう文人兄に会うのも楽しみです。
祐真兄が、最後の挨拶で「関先生のようにではなく」と言ってくれたことがとても嬉しかったです。常日頃、物まねではなく、自分のスタイルを見つけるようにと伝えてきたからです。「関先生を目標に」などと言われたら私は失望していたでしょう。その辺りの価値観は、一般的な考えとは違うのかもしれません。しかし、祐真兄は、イエス様に献身したのですから、牧師の弟子ではなく、イエス様の弟子となってほしいからです。
文人兄もそうですが、祐真兄も、按手礼を受けて牧師となるためには、最低でも9年はかかると思われます。すでに牧師となった井下泰文牧師も含めて、ホノルル教会が生み出した献身者のために祈りましょう。
まず静岡で開催される「リターニーカンファランス」への参加です。これは海外でクリスチャンになって日本に帰国した方々の集まりで、励ましと情報交換のためです。
そして25日(日)には東京のお台場でホノルルOAHANAの開催です。ホノルル教会つながりの方々が集まって、親睦と励ましの時をもちます。現在20名強の方々が参加を予定しています。
もう一つは、南三陸を支えるクリスチャンネットワーク代表の中澤竜生牧師に教会からの献金を届けることです。どうぞ、旅の道中が守られ、よき出会いと奉仕ができますように、留守の教会と家族が守られますように、お祈りください。緊急事項があった場合は、執事までご連絡をお願いします。
教会に図書のブログが開設されました。http://ameblo.jp/hccbook/ 教会には多くの蔵書がありますが、その中から、推薦本、新刊など、紹介していきます。教会の教育館の2階に本棚があります。ジャンル別に分類しました。どうぞご利用ください。ブログに本の読書感想文など書いてくださる方も募集しています。興味のある方は牧師までご連絡ください。
オバマ大統領が再選されました。またホノルル市長も選出されました。私たちは、選らばれた指導者が、神を畏れ、神の御前に伏して祈り、正義と公正によって国家を治めることができるように祈りましょう。
中川祐真兄が、今日の礼拝を最後に帰日します。東京聖書学院での4年間の学びを通して、神の器として整えられていきますように。 私たちホノルル教会は、彼にとっての母教会となります。 祐真兄を生み出し、送り出した母教会として、これからも祈り支えていきましょう。 吉田文人兄はこの3月に卒業予定です。日本のどこかの教会に遣わされることになるでしょう。私は11月25日は、文人兄がインターン生として奉仕している新井ホーリネス教会の礼拝でメッセージをさせていただきます。どうぞお祈りください。
今回は、それでも事前にハリケーンが来ることが分かっていたので、避難する時間がありましたが、地震のように予測ができない災害の怖さもまた改めて感じました。しかし、分かっていてもどうする事もできない、自然の猛威の前になす術をなくす人間の弱さを痛感します。被害に遭われた方々と地域の復興のために、神の慰めと助けを心から祈ります。
ハワイにおいて度々出される津波警報に関しては、100回その警報がはずれても、必ず避難することです。どうせまた大丈夫だろうという油断は禁物です。教会と牧師館が避難場所です。遠慮する状況ではありませんから、必ずその時には避難をしてください。特に電話がつながりにくくなります。「どうぞ牧師館へ」という電話がなくても、自己判断で避難してください。
生きている限り、心が騒ぎ、不安になることがあります。しかし、その時にこそ「わたしの平安を与える」と言われた主イエスのことばを思い起こしましょう。目に見える状況がどうであれ、私たちの心の奥底にある平安は決して奪われることはありません。私たちは、主イエスの平安をいただいているのです。
「平安があれ!」 関牧師