その後、マルヒヤに入られ、主日の礼拝には参加できなきなりました。訪問に行きますと、駐車場をちょうど見おろせる部屋でしたので、いつも窓から手を振って 見送ってくれました。ずーと見えなくなるまで、手を振り続けいてくれた姿が心に残っています。
まさに天命を全うしたと言える、平安なその時でした。ご家族の慰めを心からお祈りいたします。
最近、誰の言葉か定かではないのですが、私の耳に入った言葉で「教会は、主日の礼拝に来れる人だけのための教会ですか? 礼拝に来れない人にとっては教会ではないのですか?」という問いかけでした。
様々な理由で教会に来られない人がいます。教会とは、その人にとっても教会であるはずです。この事をどのように実際に現していくことが出来るのか、考えさせれています。
関 牧師
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