6日の礼拝の中で、私たちは心を一つにして祈りましたが、ちょうどその少し前でしょうか。尚之さんは天に召されていきました。
生前に尚之さんにお会いできなかったのは残念ですが、神のご計画は、この地上に残された者への「神の慰め」を届けることにあったのだと思います。皆様のお祈りを感謝いたします。
先週で「礼拝」についての話を終え、今日から「交わり」に入っていきます。礼拝とは、常にこの世界に向かってオープンです。サマリヤの女性が、自分の町に帰っていき、「来て、見てください」と告げたように、真の礼拝とは、「来て、見てくださ」と言える者たちの集まりです。「来て、見てください」「何を?」「救い主がここにおられるのです。」これを言える礼拝が、真の礼拝です。
これを言い切れる者たちでありたいと思います。その原動力は、喜びの泉です。神に愛され、救われた自分の内側から湧き上げるものです。サマリヤの女性は、その湧き上がる喜びがあったので、自分を差別し、自分を信用しない者たちの所に行っったのです。伝えたいという思いを留めるものは、この喜びの前にはなかったのです。この土曜日に「礼拝刷新を考える会」を開催します。どなたでもご参加くださって、真の礼拝について考えましょう。
関真士牧師
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