関牧師
2013年10月18日
10月20日2013年の週報に掲載
「礼拝の後に、交わりの時間がありますので、お残りください」と言うことがあります。この「交わり」という言葉は、教会用語です。初めて来られた方には「交わり…?」という感じかもしれません。
「交わり」とは、ギリシャ語では「分かち合う、共有する」という意味です。つまり、「交わり」とは、単にお茶を飲みながらの雑談や、会話を楽しむことではなく、何かを分かち合うことなのです。
それで問題になるのが、何を分かち合うかです。それは「互いに愛し合いなさい」という御言葉の通りに、「キリストの愛」を分かち合うのです。その愛は、赦し、受容、癒しなのです。
聖書は、「交わりを保ち」と語ります。交わりを一時持つのは簡単です。しかし保つことは難しいのです。人は、お互いを知れば知るほど、近づけば近づくほど、仲が良くなることは稀です。むしろ関係を保つことが難しくなります。それは人の中にある罪のゆえです。この現実の中で、交わりを保つことが出来るとするならば、それは「赦し」なしにはあり得ないのです。
交わりを保つ秘訣は、ただ一つ、「私が主の十字架の前に立つ」ことです。主の十字架を仰ぎ見ることによってのみ保たれる交わりなのです。それが教会のコイノニアです。そして、それこそ人々が求めてやまない、ありのままで居られる交わりの実現なのです。
共に、主の十字架を仰ぎ見て、交わりを保ちましょう。
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