キリスト教は空虚な墓の上に立つと言われます。イエスが十字架で死なれたことが歴史の事実であることのゆえに、この地上に墓が存在します。墓とは、その人が、この地上に生きたことの記念であり、記憶です。
しかし、その墓は空っぽです。「彼はそこには、いない」のです。なぜならイエスは死を打ち破って甦られたからです。
もしイエスが甦られなかったら、私たちは世界一の嘘つき、虚しい存在となってしまいます。存在しない者に賛美を捧げ、祈ることなど滑稽なことです。
しかし、私たちは虚しい者ではありません。主は確かに甦ったのです。それが本当か嘘かを一番知っているのは、弟子たちです。人は偽りのために命を捨てることは出来ません。あのペテロが殉教の死を遂げるまで、復活の主を宣べ伝えたのです。彼は、復活の主に出会ったからです。
主は、今も生きておられる。これが私たちの信仰です。だから私たちの信仰は過去形ではありません。今のことです。だから、今を輝いて生きることが出来るのです。
関真士牧師
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