2018年2月16日

2月18日2018年の週報に掲載

 献身とは、文字通り、神にすべてを捧げることです。その意味は、自分の人生に「神の御心の通りになりますように」と祈り、またそのように生きることです。

 本来、もともと私たちのすべては、神のものなのですから、すべてのクリスチャンは献身者です。しかし実際に、自分の意志で、自覚的に献身を告白するとなると、躊躇される方もいます。

 牧師になるかどうか、神学校に入るかどうかは、神の召しによりますから、すべての人に求められていることではありません。しかし、そのように召されている人がいるのも事実です。

 森宗孝兄は、お仕事をリタイヤされてから、その道に進みます。関勇矢兄は、大学を卒業してすぐに、その道に進みます。私が学生の時には、上は72歳から下は18歳までが、一緒に机を並べていました。

 神の召しは、老若男女を問いません。もしかしたら、あなたも、その道に召されているかもしれません。一度は、祈ってみましょう。 そして、フルタイムかどうかにかかわらず、「御心の通りに」と祈るなら、本当の祝福は、この祈りから始まってくのです。                 

関牧師

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