2018年3月30日

4月1日2018年の週報に掲載

 今日は、復活祭です。私たちの信仰は、「空の墓」の上に立つと言われます。イエスが、この地上に実在され、歴史の事実として十字架で死なれました。だから「墓」があります。架空の人物には「墓」はありません。
 しかし、「墓」はあっても、それは「空っぽ」です。なぜなら主は蘇られたからです!

 「空の墓」とは、イエスの十字架と復活の事実を私たちに示します。十字架と復活、これこそ私たちの信仰の拠り所です。

 イエスが墓に葬られた時、横穴式の洞穴に大きな石が蓋として置かれました。そしてローマ皇帝による「封印」が押されました。
 大きな石、ローマ帝国の封印、何が何でもイエスを墓から出さないという強い力が働いています。目に見える物理的な重い石、目に見えない権力としての封印。

 しかし、イエスは、その墓の石を動かし、封印を打ち破って、復活されました。

 この世のどのような力をもってしても、イエスの復活を阻止することは出来ないのです。  イエスは確かによみがえり、今も生きておられます。これは科学の問題ではなく、信仰の事柄なのです。

関真士牧師

2018年3月23日

3月25日2018年の週報に掲載

 今日は、棕櫚の聖日(パームサンデー)です。今日から受難週に入ります。30日の聖金曜日礼拝、1日の復活祭と続きます。

黙想

 十字架のイエスの正面に立っていることをイメージして。

 何が見えますか?

 何が聞こえますか?

 何を感じますか?

 あなたは、何と応えますか?

 主の十字架を想いながら、

 恵みの深みへと導かれていきましょう。

関真士牧師

2018年3月16日

認知症セミナー

連合主催で「認知症 爆発の時代を迎えて」セミナー集会がハワイのホノルルで行われます。ぜひご参加ください。

日時:3月24日2018年(土)午前10時よりー12時まで

場所:ホノルル教会 (Honolulu Christian Church)
   2207 Oahu Ave.

入場無料です。 お気軽にご参加ください。
教会は駐車場が少ないので、空きスペースがない場合はストリート・パーキングをお願いします。

詳しくは、チラシをクリックしてください。


3月18日2018年の週報に掲載

 いよいよ受難節も佳境に入ってきました。来週から受難週に入り、30日の聖金曜日礼拝、1日の復活祭へと続きます。

 今年は、「勝利の十字架」というテーマを掲げていますが、イエスが十字架にかかるまでの一連の出来事の中に「霊的な戦い」があったことを読み取れます。しかし、イエスは圧倒的な勝利をおさめ、十字架に自らがかかります。そして復活に至り、その勝利は完結するのです。

 昨日、妻のれいと共に無事にハワイに戻りました。日本についてから、驚くほど元気で、食事、歩行、体調が守られました。多くの方々に祈られているのを実感しました。お祈りを心から感謝いたします。

 この出来事を通して、新しく何かが始まっていることを強く感じます。ただ健康が元に戻るだけではなく、新しいミニストリーが始まっていくのだと思います。主は、この経験のすべてを益として、神の働きのために用いてくださいます。夫婦ともども、献身を新たにして、主に仕えていきます。

関真士牧師

2018年3月9日

3月11日2018年の週報に掲載

 関真士先生、れい夫人が東京聖書学院の卒業式に出席されるために、日本にお出かけになりました。私も共に学んだメンバーの卒業式で、先日、色々なことを思い巡らしながら、一人一人にカードを書いていました。今、聖書学院には、いよいよ主の働きの現場、その最前線へと遣わされようとしている卒業生たちがいます。

 去る水曜日は、関勇矢兄が4月から東京聖書学院に入学するために、ハワイを発ちました。これから聖書学院という学び舎に導かれようとしている方々がいます。

 先日は、日本にいる友人から河津桜の写真が送られてきました。「ああ、もう春なんだなぁ」と、改めて思いました。日本は年度末、様々な変化のある時期です。

 移りゆく時を私たちは生かされています。聖書学院をこれから卒業する方々。一方で入れ替わって入学する方々。桜が咲き始める年に1度のこの時。7年前の今日は、東日本大震災という悲劇が日本を襲いました。荒野に道を、荒地に川を設ける神様がなさろうとしておられる「新しい事」(ホノルル・キリスト教会の年間聖句)に、私たちは期待と希望を胸に歩ませて頂きたく願います。

高木牧人牧師

2018年3月2日

3月4日2018年の週報に掲載

 主は、良いお方。God is good all the time.

 主が良いお方だとなぜ分かる? それは、主は良いお方だから。

 主が良いお方だと分からないのは、主を知らないから。主を知ったら、主が良いお方だと分かる。なぜなら、主は良い方だから。

 私たちの側の感覚や感情によって、主が変わるわけではない。主は、永遠に変わることのない方。私たちが主を作るのではない、主が私達を造られた。

 私達は、変わる。でも主は変わらない。主の愛は、永遠に変わらない。

 主は、常に、良いお方。それは永遠に変わらない。だから、私たちは、常に主を賛美する。主を喜ぶ。主を慕う。

 この受難節の時、主の十字架が分かったら、主が良いお方であることが必ず分かる。求めよう。

関真士牧師