2008年6月28日

6月29日週報に掲載

 ある日突然、玄関がドンドンと叩かれる。誰かが外で叫んでいる。今まで何回となく繰り返されている日常の一コマである。そう愛犬ラキが脱走したのだ。今週も近所のおばさまに連れられて、次の日にはおじさまの車に乗せられて我が家に無事帰還したのだった。
 すでに近所で有名になっていて、あのビーグル犬はLowrey aveの白い家の犬だと誰もが知っているようだ。今回の脱走劇は、床下の隙間から逃げていたものだと判明した。それにしてもラキには、何度走らされたかた分からない。ある時は熱を出して寝込んでいる中、フラフラしながら追いかけた。良い運動と言えば確かにそうだが・・・・。
 先週のこと、家の前に立っていたら、道の向こうからラキが走って来た。一瞬の出来事だった。いつの間にか脱走していたラキが自分から帰って来たのだ。脱走するのは、よほど居心地が悪いのかと思ったりするが、戻って来るのを見ると、ここが自分の帰るべき家だと分かっているようだ。
 それにしても何食わぬ顔で、受け入れられて当然の顔で帰って来たのを見て、叱る気にもならず、やけに可愛くなってしまった。自分が受け入れられるかどうか心配で帰って来た放蕩息子とはかなり違う。しかし、私たちには帰る家がある。だから脱走しても、旅に出ても、必ず帰ってくる。

 ハワイ聖会の講師だった大倉信先生は、生きる意味と目的を求めて放浪の旅に出た。そしてインドのガンジス河のほとりでイエスの言葉を聞き、その足で聖書学院に入学したのだった。イエスのもとに帰ったのだ。どんな自分であっても、イエスのもとに帰る者は必ず受け入れられる。イエスこそ、私たちの永遠の家である。

関真士牧師

2008年6月20日

6月22日週報に掲載

●会堂建築は未来のために●

 1926年ワイアラエの黒田フイ宅で始まった家庭集会が萌芽となり、1929年正式に教会が誕生する。1932年モイリリ地区に会堂をリースする。以後1946年、1952年と移転を繰り返し、1959年に現在のマノア地区に落ち着く。1981年、現在の教育館が$630,00で建築される。この費用は全額が献金で支払われ、銀行からのローンはなかった。この出来事は当時の新聞にも取り上げられるほどの快挙であった。

 それから27年が経った。現在私たちが取り組んでいる「教会リニューアル」会堂建築のプロジェクトは、この教会の歴史の流れの中にあることに心を留めたい。現在1981年の教育館建設を体験した方は、本当に少なくなった。ある方は召され、ある方は高齢のために教会に来ることが出来ない。私たちが現在使用している教会施設は、当時の方々の大きな信仰と犠牲の上にある。それを私たちは感謝をもって使用させていただいている。

 私たちが取り組んでいる会堂建築は、今の私たちに必要であるかどうかも大事だが、30年後、ホノルル教会で活躍しているであろう方々のためでもある。先輩の聖徒たちが現在の私たちのために残してくれた建物に感謝し、同時に私たちの子供、孫たちの将来のために、今の私たちの信仰と犠牲が教会の未来を拓くものとなる。


関牧師



2008年6月13日

6月15日週報に掲載

 今日は、父の日ですが、現在「父の学校」という運動が韓国の教会で始まり、それが全世界に広がっています。ウェブページから文書を転載します。

 「父親は家庭の大黒柱です。また、家庭は社会の基です。多くの家庭が崩れつつある今日の社会において、「父の学校」は、お父さんたちが父親の使命と役割を認識し、家庭のあり方と大切さを悟り、本来の家庭を蘇らせることをサポートをします。「父の学校」の学びを通して、父親ご自身が成熟していくことにより、家庭、そして社会が変わることが経験できます。 変化と成熟は赦しと癒しから始まります。父の学校には、赦しと癒しがあります。赦しと癒しは関係の回復です。すべての関係の始まりは私たち、父親です。お父さんたちよ、真の休息と平安がある家庭を作っていきましょう。」

 ハワイでもこのような「父の学校」が出来たら、真っ先に受講したいなと思います。現代社会を回復させる大きな鍵を持っているのは、父親です。しかし、その父親自身が迷いと痛みの中にあります。まず父親が赦しと癒しを経験することです。そのためには、父親自身が心を開き、適切なサポートを受けることが必要です。

 私たちには3つの父があります。天の父なる神、血縁の父、父としての自分。この3つの関係が正しく結ばれる時、父という存在がこの地上で輝くことが出来ます。世の中の父親が、自らに誇りと自信が回復し、神を父とする正しい父親像を取り戻し、家庭を築き、守り、妻と子供たちを愛していくのです。お父さん! 立ち上がりましょう。

メッセージは ここをクリック

関牧師

2008年6月8日

6月8日週報に掲載

 教会が活動していくためには、様々な働きが必要ですが、私たちは、その働きを「奉仕」と呼びます。それは、教会での働きは、神と人とに仕えるものだからです。世の中の働きは、自らの生活のため、キャリアのため、名誉のため、色々あります。多くの場合は、仕えることより、仕えられる立場を目指して頑張ります。

 しかしイエスは「仕えられる者ではなく、仕える者になりなさい」と言われました。だから私たちは、あえて「奉仕」と呼びます。教会の中では、仕えられる者ではなく、仕える者が神の目に尊ばれます。

 先週の礼拝後に奉仕者フェアーがありました。教会の様々な奉仕の報告、証がありました。目立つ奉仕、目立たない奉仕、様々です。その報告や証を聞きながら、ここに「キリストの教会」があると確信しました。それぞれが神から与えられた賜物を活かして奉仕している姿を見て、心から主に感謝しました。

奉仕の心得が幾つかあります。

 まず仕える心を持つことです。それは相手の益のために、必要のために、自らを喜びをもって捧げることです。会堂に入って、ごみが落ちているのを発見し、近くの方にそれを伝えるか。それとも自分で拾うかの違いです。

 報いは主にあることを知ることです。誰の目に触れなくても、評価が得られなくても、ただ主の報いがあります。天に宝を積むことです。賜物に応じて奉仕することです。一人一人に必ず賜物が与えられています。その賜物を用いることが大切です。

関牧師

2008年6月1日

6月1日週報に掲載

 ここのところ、常夏のハワイにも、季節の変わり目というものがあるのだと実感しています。暑さと雨が降らないために、マノアの牧師館の庭の柴も枯れてきました。ああ夏が来たんだなと感じましたが、ハワイで夏を感じるというのも不思議なものです。

 たまにマノアの谷を山沿いに歩いて散歩します。色々な家や庭を見るのがとても好きで、特に木造りの古い家が大好きです。おまけに木の電信柱が立っていて、そんな中を一陣の風が吹き抜けます。風にも色々あって、時には晩秋の風、初夏の風などなど、懐かしい匂いがしたり、そんな風に吹かれると、ふっと子供の頃の気持ちや、夕暮れ時の町並みなどが思い出されます。

 ハワイに来て、風を感じることが多くなりました。今私が受けているこの風は、どこを旅して来たのだろうか? 太平洋の大海原を通って、その前は? そしてこれからどこへ行くのだろうか? 目を閉じて、両手を広げて身体一杯に風を受けると、太平洋の大海原に一人立っているような感覚になります。全ての風が、自分に向かって吹いているようです。自分も「千の風」のような詩が書けるのではないかと、一瞬詩人になった気分です。

 神の恵みも風に乗ってくることがあります。「風は、思いのままに吹く」とイエスは聖霊のことを表現しました。聖霊の風に乗って、神の愛、平安、希望が吹いてきます。心を一杯に広げて、全身でこの風を受けましょう。この風の中で、すべてが癒されていきます。
風を感じられる生活、いいですね。

関牧師