2009年1月29日

2月1日2009年の週報に掲載

 今朝は吉田文人兄の証しがあります。彼は4月から東京聖書学院という神学校に入学します。牧師としての生涯に足を一歩踏み出します。井下泰文先生の卒業と入れ替わりとなります。ホノルル教会から献身者が起こされることは、教会にとっても大きな喜びであり祝福です。

 基本的には献身とは、クリスチャンにとって標準のことですが、教会では特に牧師になる人のことを献身者と呼ぶことがあります。全てを神に捧げて従って行く決意を明確にした、その結果神が牧師として召してくださったということです。

 日本では牧師が足りません。牧師はいくらでも必要です。確かに楽な仕事ではありません。しかし、人生をかけるのにふさわしい仕事であると信じています。最近では、早期退職した方々が、神学校で学び牧師になるケースもあると聞きます。クリスチャンの方は、一度は神に自分はフルタイムの牧師、伝道者、宣教師に召されているのではないかと問うとみるべきだと思います。

 賜物を与え、召される方は神ですから、人が勝手に決めることは出来ません。皆が牧師になるわけではありません。しかし、神の召しに耳を傾けることは大切なことです。それぞれが、与えられた場で、賜物を生かして、神に仕えることです。

 私が聖書学院に入学したのは1988年23歳の時でした。その時の頃を思い出し、献身を新たにしているところです。これから吉田兄の学びと訓練が祝福されますように。日本に帰国するまでに必要の全てが与えられ整えられますように、お祈りしましょう。

関牧師



1月25日2009年の週報に掲載

 先日は、ハリケーンの影響で大波がノースショアにやってきました。命知らずのサーファーたちが繰り出したようですが、波が荒れていてサーフィンとしてのコンディションは良くなかったようです。

 今の時代、変革という大きな波がアメリカにも、世界にも押し寄せてきています。教会の歴史を見ていくと、その時代の状況によって教会のあり方が大きく影響されていることを見ます。教会も、この変革の波に無関係ではありません。波から逃げるか、波に飲まれるか、波を乗りこなすか。教会は熟達したサーファーのようにして、この波に向かっていきたいですね。

 新大統領を迎えたアメリカの今後は? どんな波がやってくるのでしょうか? 波を乗りこなすために次のことを知っておきたいと思います。

 まず、自分たちが「何」であるかを知ることです。教会とは何なのでしょうか? 次に「何のために」存在しているのか? その存在意義を知ることです。さらに「どこに」向かっているのか? ビジョンを明確にすることです。つまり、存在と使命と目的です。

 ホノルル教会とは? 何なのか? その使命は何か? ビジョンは? これれが明確であることが、これからの時代の波に対処する秘訣であります。そして実は、その波は歴史を支配し、導いておられる神から来ているということにまで目を向けていきましょう。歴史の背後で働かれている主の道を認めましょう。この時代に生かされ、そして救われ、ここに集っていることの意味を、より深く理解したいと思わされます。

関牧師


2009年1月18日

1月18日2009年の週報に掲載

 1月20日、いよいよオバマ大統領の就任式です。世界大恐慌の中での就任ということで、その手腕に注目が集まります。私たちは、国家の指導者のために祈る必要があります。是非、オバマ大統領が神を畏れ、謙遜に、忠実に、正義と権威をもって国を治めることが出来るように祈りましょう。
 先日、ホワイトハウスに歴代の4人の大統領経験者が集まってオバマ次期大統領を囲んだということです。その中でブッシュ現大統領が、「私たちが願っているのは、あなたが成功することだ。」と語っていました。党派を超えて国家のために集まり、次のリーダー祝福している姿を見て感動を覚えました。
 民主党の予備選挙の時に、クリントン女史とのネガティブキャンペーンのやり取りは、そこまで言うか!というような批難の応酬ですが、それが終わると、国務長官に女史を登用するという、このあたりの感覚は日本人に理解するのは難しいでしょう。

 いずれにしても、アメリカの威信という課題において、党利、私利を超えて取り組む姿は頼もしいものです。一方で日本の政治に目を向けると、あまりのレベルの低さに唖然とします。こちらの指導者のためにも祈りましょう。

 「Glory Glory Hallelujah—his truth is marching on」という誰もがしっているマーチンソングですね。真理がマーチするというアメリカらしい歌です。これが日本に来ると「権兵衛さんの赤ちゃんが風邪引いた」とか「オア玉じゃくしはカエルの子」になってしまう。この違いは?! 主よ、どうぞ日本をあわれんでください!

関 牧師


2009年1月8日

1月11日2009年の週報に掲載

 暖炉で燃えている木がはじけて、木切れが少し離れたところに落ちる。とたんに勢いをなくして火が消えかかる。その木切れをもとの火の中に戻してやると、また勢い良く燃え出す。

 霊に燃え続けるには、まずは主との個人的な関係が大切です。しかし同時に交わりの中に身をおき続けることも大切です。個人的な信仰を確立するのと、孤立するのは違います。 神が望まれる信仰のあり方とは、神との関係が隣人との関係に反映されることです。
意気消沈と言いますが、まさに火が消えそうなとき、親しい友の励ましや優しさ、叱咤激励に、もう一度火が燃え始めたという経験もあるでしょう。他者の証しを聞いたり、主に仕える姿を見て、火がついたということもあるでしょう。

 先週はECカンファランスから10名の者達が無事に帰ってきて報告の証しをしてくれました。熱く燃えているのが伝わってきました。手を上げて主を賛美している姿を見て、私も主をあがめました。「霊に燃えて」という年間聖句にもタイムリーでした。
 燃えることは、何も若者の専売特許ではありません。表現の仕方は様々ですが、確かに私たち先の者も霊に燃えています。地球の中心で核が燃えているように、教会の中心でも霊に燃えた核があります。どんなに冷めた人でも、この核に巻き込まれるようにして、木切れが炎の中に入れられて燃やされるように、霊に燃えて主に仕える者へと変えられていきます。

 霊に燃えても、燃え尽きることはありません。共に聖霊の火に燃やされていきましょう。        

関牧師



2009年1月3日

1月4日2009年週報に掲載

2009年 年間聖句
「霊に燃え、主に仕えなさい。」 (ローマ12:11)

年間聖句というのは、その年の教会全体の歩みを現すものです。

昨年は、「この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのです。」エペソ2:21を掲げました。
 一人一人が主との人格的関係を確立し、それがキリストの体である教会の成長へとつながっていくということでした。これはいわばベースを作ることでもありました。そこで今年は、そのベースの上に立って実際の働きが起こってくる段階となります。

 各個人の主との人格的関係をベースとした教会に、聖霊は注がれます。この聖霊に燃やされて活動が始まります。さならがら私たちは最高の車を手に入れ、ガソリンが注入され、エンジンがスタートした所です。そして主の栄光という目的地に向かって「主に仕える」という道を走り出したのです。それぞれが、どのような形で主に仕えていくのか? 聖霊に燃やされながら、情熱と賜物をいただいて主の栄光を現していきましょう。

 また同時に、教会は霊に燃やされた人々を、しっかりと受け留めていかなければなりません。その情熱が正しい道に進むために、「主に仕える」という道をしっかりと証ししていくのです。そのためには、すでに「霊に燃えて主に仕えている人々」それを「核=コア」と呼びます。この核=コアをしっかりと築くことが求められます。

 ホノルル教会の建物も、人々も、方法やスタイルも、時代と共に変わります。しかし、「霊に燃えて、主に仕える」という核の部分は決して変わらないのです。

関牧師