2017年10月26日

10月29日2017年の週報に掲載

 来週の礼拝には、高木牧人先生が来られていると思うと、嬉しくて心が一杯になります。ホノルルの地に足を着けるその時まで、主の守りがありますように。

 神と人との関係の諸相を聖書からシリーズで語ってきました。メッセージを最初に聴く者は、メッセンジャ―自身だと言われますが、その通りにまず自分自身が教えられ、恵まれています。

 教会に集う一人一人が、神との関係をより豊かに、深く、強く持つことができますようにと願います。
 最近、人間にとっての身分、立場ということを考えます。立場が人を作るとも言われます。例えば、制服を着た時、仕事着を着た時、ネクタイを締めた時、バッジを付けた時、それらによって今置かれている立場や身分を意識するとき、動作や言葉使いが変わって来ることがあります。

 私たちは、十字架を見上げるとき、自分が神の御前で何者かを知ることができます。自分の身分と立場を知ります。一人の人間としての罪深さや弱さを知ります。同時に、その自分に注がれている神の愛を知ります。

 そして、自分は、愛されている神の子供であること。この神は、天地を造られた唯一の聖なる神であり、私たちは、その神の子供だということです。 であるならば、私たちは、自分の身分、立場にふさわしく生きたいものです。最高に価値ある存在ですから、最高に価値のあることを行いたいものです。あなたは素晴らしい存在なのだから、素晴らしいことをしましょう。

関真士牧師

2017年10月20日

10月22日2017年の週報に掲載

 私は散歩が好きです。特に知らない街の、知らない道を通るのが好きです。健康のために散歩をするようにしていますが、マノアの街は、散歩には最高のローケーションです。だいたい4つくらいのコースがあって、その時の気分でコースを選びます。
 マノアの風に吹かれながらの散歩は、心身ともにリフレッシュしてくれます。そして、時々とても懐かしい感じがします。風の匂いが、日本の春先であったり、初夏、秋の風であったりします。すると、子供の頃の風景がよみがえってくるのです。おまけに木の電信柱が、なんとも言えない雰囲気をもたしてくれています。

 ちなみに、ある日本の街で、電線を地中化して電信柱を無くそうとしたときに、住民の反対運動を起こったそうです。なぜなら電信柱は、日本の風景に欠かせないものだということなのです。確かに、子供の頃に外で真っ黒になって遊んでいた時の風景には電信柱があったものです。

 話を戻すと、夜の散歩も好きです。家の中の灯りを見ると、なんだかホットします。一つ、とても狭い道があって、そこを歩くと、家の中の音が聞こえてきます。料理を作る音や、話し声など。するとまた子供の頃の、夕暮れ時、路地で聞こえたトントンと包丁をたたく音や、子供の泣き声や、そのころの光景が浮かんできます。

 では、散歩しながら昔のことばかり考えているかというそうでもなく、いろんなことを考えながら、時には賛美やメッセ―ジを聴きながら歩いています。散歩は、とてもいいものです。

関真士牧師

2017年10月13日

10月15日2017年の週報に掲載

お知らせ

 日英合同の日本宣教旅行が計画されています。
以下の概要は、最終決定ではなく変更の可能性がありますが、現時点での状況をお知らせいたします。

 今回は、イベント中心、巡回形式ではなく、一か所に落ち着いて、出会う人と豊かな人間関係を結び、人格的な関わりの中でイエスを証しするような宣教スタイルです。

 *期間 7/16(月)~7/31(火)

 *滞在先 坂戸キリスト教会 (埼玉県)
   *奉仕教会  坂戸教会の近隣の諸教会  坂戸教会に宿泊して、そこから4,5人のチームに分かれて近隣の教会へ通う。
   *奉仕内容 奉仕先の教会の要請に合わせて、集会、証し、英会話、キャンプ参加、教会の掃除、修理、イベント計画などなど。
 *参加予想人数  20人
 *費用 自費 (飛行機代 $700+宿泊、食費など、合計$2000強)

現時点で、確定でなくても、参加予想の方は、藤川直也さんまで声をかけてください。

関真士牧師

2017年10月6日

10月8日2017年の週報に掲載

 ラスベガスでの銃乱射事件、止まることないテロの連鎖、今やどこで何が起こっても不思議ではない、そんな時代になってしまいました。

 最近、興味深い映画を観ました。ある日突然に一切の電気が使えなくなるのです。社会がパニック状態に陥る中で、一つの家族の歩みに焦点を当てる物語です。

 つい127年前、明治23年(1890年) 日本で初めて白熱電球が製造されました。

 電話のサービスが始まったのも同じ1890年で、5分間の通話料金が、現在の価値に換算すると7500円くらいでした。
 たった百年ちょっと前までは、電気製品はなかったのです。そして、ウィンドウズ95の発売をきっかけに、世界はあっという間に大きく変わりました。 あまりの急激な変化に、人間の成長がついていけていないのです。原発に見られるように、人間が発明したものであっても、人間がコントロールできないのです。

 私たちは、本気で、神に立ち返ることによって、本来の人間の立ち位置を取り戻す必要があります。便利や進歩は良いことでしょう。しかし、人間として何か大切なものが失われていくようにも思えます。

関真士牧師