2007年12月16日

12月16日週報に掲載

 さて、日本では年末になると、この1年間の世相を最も現している漢字を一文字選んでいる。今年の一位に選ばれたのは、「偽」という漢字であった。肯定的でない文字なのが残念だが、確かに「偽物」が多かった一年だった。食品の産地、賞味期限、建設資材、製薬会社、年金記録、次から次へと出てきた。おそらくもっと出てくるだろう。
 どれも、利益追求、自己保身の末に出てきたものだ。皮相的な利益のために、実質を無視した結果がこれだ。しかし、一方で表面的な宣伝文句に踊らされて、実質を見抜くことの出来ない消費者側にも責任の一端があるだろう。この「偽装」問題は、単に一部の企業の問題ではなく、日本の社会全体の問題であるように思う。
 私たち人間の生き方が「偽物」であるなら、その人間が作り出すものも「偽物」が出てくるだろう。逆に、真実な生き方からは、真実なものが作り出される。表面的な宣伝文句や美辞麗句、それに対して中身の実質が伴っているかどうか。


 イエスの廻りに居たパリサイ人は、イエスに「白く塗った墓」「偽善者」と呼ばれた。彼らはの生き方は、表面を正しく見せ、中身は恐れで一杯だったのだ。この表面と中身の違い、本音と建前の違いが問題なのだ。


 偽善者という言葉の響きは「ドキッ!」とさせるものがある。あまり聞きたくない言葉だ。私のように言葉を発する務めをしていると、なおさら「偽善者」という言葉が怖い。しかし、自分が本物であるかどうか。それは、本当の自分を見つめ、神の御前に正直になれるかどうか。それが出来るのは、ただ神が愛であることの実体験だ。

関牧師

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