2009年4月30日

5月3日2009年の週報に掲載

 先週は、賜物テストを実施しました。自分でも何が出るか楽しみでしたが、私のい場合はだいたい予想通りでしたが、何だと思いますか? まだ受けておられない方、いつでも受けられますので声をかけてください。

 先日、久しぶりに軽くジョギングをしました。予想以上に身体が重く感じましたが、これを機に運動量を増やしていきたいと思います。肉体の健康は、供給と消費のバランスが重要です。 私の知り合いの高校生の息子はマラソン選手で、毎日相当の距離を走りこんでいました。一度食事を共にした時、彼は酢大豆をポリポリかじりながら、とても健康的な食事をしていました。
 しばらくして、彼が栄養失調で倒れたと知らせを受けました。びっくりしましたが、あれだけの運動量には栄養が足りなかっただろうなと、妙に納得がいきました。
 逆に栄養を摂るばかりで、運動をしなければメダボになって、お腹に脂肪がたまり、血圧も、血糖値も上がって、言わずと知れた成人病になってしまいます。

 教会はキリストの体です。私たちの霊的な健康も同じことが言えます。恵みを十分にいただくことと、宣教の働きをすることと、両者のバランスが大切です。あなたのバランスはどうですか? やせ過ぎだと思う人は、働きよりも恵みに満たされることを求めて、太り過ぎと思える人は、宣教の働きに参加することを考えてみましょう。
 そのために、賜物を発見して、自分がどのような場で賜物を活かして働くことが出来るのか、求めてみましょう。


関牧師



2009年4月23日

4月26日2009年の週報に掲載

 今日から「最高の人生」というテーマのもとに、賜物を発見し、それをいかに用いていくかについてのセミナーが始まります。グレース・トキ女史がセミナーを導いてくださいます。

 私たちの思いが形になるためには、人、賜物、計画が必要です。主の愛に触れられて、満ち溢れる喜びを持っている「人」。そして、それぞれに与えられている「賜物」。さらに、違う賜物が組み合わされて一つの働きとなるための「計画」。それらが揃ってはじめて、思いが形となります。

 私も、神学校に入った1年目の時、21年前の事ですが、あまりに福音を伝えたいという情熱に燃えて、新宿の街角で一人聖書を持って「主イエスを信じましょう!」叫んだことがあります。しかし、情熱は分かりますが、かえって道行く人に「変な人」に思われてしまい、かえって躓きを与えてしまったのではないかと思います。

 福音グッドニュースを走ってでも知らせたい、この思いは今でも変わりませんが、一人よがり、では良い実は結ばれません。聖書が語るように、私たちは「キリストの体」として、それぞれの賜物が組み合わされて、チームで働くことが必要です。

 今日から3回に亘ってのセミナーの中で、まず賜物の発見テストを行います。その結果はとてもエキサイティングなものになるでしょう。次にその賜物をどのように活用し、一つの働きとして実現していくかについて学んでいきます。
「共に走る」方々、どうぞご参加ください。           関牧師

2009年4月18日

あふれる命

イースター礼拝に子供たちと一緒に賛美しました。 その時の様子を載せました。

2009年4月16日

4月19日2009年の週報に掲載

 十字架、復活と続き、次に何が来るのでしょうか? ここで止まってしまうと、この素晴らしい恵みが個人の内面で留まってしまいます。主の復活を知ったマリヤたちは、次ぎに何をしたのでしょうか?彼女たちは「走って」他の弟子達に復活の事実を知らせに行きました。
 そうです「知らせる」、つまり福音の宣教が始まるのです。このグッドニュースは、主の十字架と復活を経験した者たちの内側から、大きな喜びと共に溢れ流れてくるものです。

 最近、何でもいいですが、大きな喜びをもって伝えずにはおれない、というメッセージを持ったことがありますか? 一分でも一秒でも速く「走って」伝えたいというものです。そのようなメッセージを持つことが出来ること自体、本当に幸せなことですね。伝える自分自身が一番恵まれます。
 鈴木先生が「自分の足で立つ」というテーマで11年間ホノルル教会を牧会してくださいました。それを受けて私は「自分の足で歩く」というテーマを掲げました。これは信仰の自立に関わることでした。今回、次のテーマが与えられました。それは「共に走る」です。
 マリヤたちは、あまりの喜びのゆえに走らずにはおれなかったのです。私たちも、自分の足で立って、歩いたら、今度は仲間と一緒に、このグッドニュースを知らせるために、共に走り出しましょう。私たちは、それほどの喜びを頂いているのですから。
 そのために、賜物を発見し、活用し、チームを結成し、溢れる命の源となりましょう。福音が語られるなら、素晴らしいことが起こります。 こんな喜びの人生はありません。最高の生き方です。

関牧師


2009年4月8日

4月12日2009年の週報に掲載

今日は復活祭! 主の復活を心から喜びましょう。

 私たちの信仰、宣教の実質は「復活」の歴史的事実にあります。

「キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のもになります。」(Ⅰコリント15:14)と記されている通りです。

 復活など神話に過ぎない、と言う人はいつの時代にもいます。しかし、復活が事実であるかどうかを一番知っているのは使徒たちです。人は偽りのために命をかけることは出来ません。使徒たちは全員が殉教しました。あの臆病なペテロにしても、イエスが生きている時でさえ裏切った者たちが、ましやてやキリストの死後、復活という嘘のために命をかけることはあり得ません。

 彼らは、確かに復活のキリストに出会ったのです。その手とわき腹に、十字架の傷跡を見たのです。だからこそ、復活の証人として最後の一息までキリストの福音を宣教したのです。

 キリストの十字架の死と復活は歴史的事実です。私たちの信仰は、単なる神話や言い伝え、人が作り出した教理に立っているのではありません。また自分の感覚や体験、感情の起伏に立っているのでもありません。キリストが、私のために死なれたこと、そして復活して今も生きておられること、この事実に立っているのです。

 パウロは、もし復活がないのなら、自分はすべての人の中で最も哀れなものだ、と言いました。それはそうでしょう、ありもしない偽りのために命を懸けているのですから。しかしパウロは、キリストは死者の中からよみがえった! と高らかに宣言しました。主は今も生きておられます。 これは歴史的事実です。 

関牧師


2009年4月1日

4月5日2009年の週報に掲載

 今日から受難週に入ります。10日の金曜日はグッドフライデー、そして主日は復活祭へと続きます。この8日間は、主の苦しみの極みから復活の歓喜へと向かって行く、まさにキリスト教の真髄が現れるような日々です。
 しかし、街中はいつもと変りません、日常生活が流れています。いつものように、仕事に行き、学校に行き…。でもそんな日常の中で、主は絶えず語っておられます。決して山奥の静寂の中だけではなく、雑踏と騒音の直中にも主はおられます。
 この受難週の期間、YOUTUBEでバッハのマタイ受難曲を聴いて黙想してみるのもいいでしょう。ヘンデルのメイサヤもいいでしょう。黙想のしおりも是非用いてください。グッドフライデーの集会では聖餐式もあります。是非ご参加ください。
 中には、静まる余裕のない方もおられるでしょう。一日の5分間でも、主の御前に静まって、主の十字架に想いを向けることが出来ればと思いますが、心に余裕がなければその5分間さえも持てないものです。

 しかし、もともと私たちは自分の想像力で主の十字架のもとにいくわけではありません。聖霊によって初めて、あの主の十字架のもとに導かれるのです。聖霊は永遠のお方です。ただ私たちは、これまでより一歩でも近く、主のもとに近づきたい。言い伝えによると使徒ヨハネは、主の十字架から流れ落ちる血潮を、その手に受けたと言われています。それくらいに、主の近くに導かれたいと思います。


一人一人が聖霊に導かれて この受難週を過ごしましょう。

関牧師