しかし、街中はいつもと変りません、日常生活が流れています。いつものように、仕事に行き、学校に行き…。でもそんな日常の中で、主は絶えず語っておられます。決して山奥の静寂の中だけではなく、雑踏と騒音の直中にも主はおられます。
この受難週の期間、YOUTUBEでバッハのマタイ受難曲を聴いて黙想してみるのもいいでしょう。ヘンデルのメイサヤもいいでしょう。黙想のしおりも是非用いてください。グッドフライデーの集会では聖餐式もあります。是非ご参加ください。
中には、静まる余裕のない方もおられるでしょう。一日の5分間でも、主の御前に静まって、主の十字架に想いを向けることが出来ればと思いますが、心に余裕がなければその5分間さえも持てないものです。
しかし、もともと私たちは自分の想像力で主の十字架のもとにいくわけではありません。聖霊によって初めて、あの主の十字架のもとに導かれるのです。聖霊は永遠のお方です。ただ私たちは、これまでより一歩でも近く、主のもとに近づきたい。言い伝えによると使徒ヨハネは、主の十字架から流れ落ちる血潮を、その手に受けたと言われています。それくらいに、主の近くに導かれたいと思います。
一人一人が聖霊に導かれて この受難週を過ごしましょう。
関牧師
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