2010年9月30日

10月3日2010年の週報に掲載

礼拝で「使徒信条」の連続メッセージをしています。一言、一言に重みがあります。今日は「陰府にくだり」ですが、同じ「よみ」でも「黄泉」という漢字もあります。口語訳では「黄泉」、新改訳は原語のまま「ハデス」、新共同訳は「陰府」となっています。「黄泉」は、日本神話から出てきた言葉で、地下の泉という意味から、地下にある死者の世界を現す言葉になったそうです。「黄泉」では、聖書の現す「ハデス」を充分に表現できないので、「陰府」と現在ではなっています。

「陰府」と「地獄」(ゲヘナ)とは違います。陰府とは、最後の審判を受ける前の待機所みたいな所のようです。地上でイエスを信じた者は天国へ、そうでない者は最後の審判の時まで陰府で待機するということです。

この陰府において、イエスを信じるチャンスがもう一度あるという説と、それはないという説の二つがあります。これを「セカンドチャンス」と言いますが、それがあるのか、ないのか?

聖書は、基本的には今生きている私たちが、この地上でイエスを信じるかどうかに焦点が当てられているので、セカンドチャンスについては断定できる聖書的根拠は充分ではありません。しかし、福音を聴くことなく亡くなった方や、幼子たちを考えると、そこに神の恵みがあって当然と思います。            

関牧師



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