2011年2月27日

2月27日2011年の週報に掲載

いよいよ金曜日から三日間に亘っての「父の学校」が始まります。私にとっては、待ちに待ったという感じです。「父が生きれば、家庭が生きる」このテーマのもと、父の本来の役割と、使命を取り戻そうという働きです。

セミナー形式ではありますが、ただ講義を聴くだけではなくて、実践的なプログラムもあり、心の深くを取り扱っていただけます。

私自身もよく証しをしていますが、父との関係の中に足りなさを覚え、その足りない部分を埋めるために、様々な思考錯誤をしてまいりました。

そして、ある時、この神が「私の父」であることを体験的に知り、それが私の人生にどれだけの祝福をもたらしたことでしょう。
しかし、もっともっと成長したい、もっと父の愛を知りたい、そして自分のまだ足りない所を教えていただきたいと願っています。

牧師が教会の父のような存在であるなら、「牧師が生きれば、教会が生きる」と言えるでしょう。
是非、この「父の学校」のためにお祈りください。日本から11名のスタッフが手弁当で奉仕に来てくださいます。また主講師の福澤師のために、特に参加者が、本当に心を開いて主の取り扱いを受けることが出来るように。経済的な必要も満たされますように。
男性のリバイバル(もちろん女性も)のために祈りましょう。

関師



2011年2月24日

2月20日2011年の週報に掲載

昨日の土曜日には、日本文化センター『星光庵』にて、表千家の「お茶会」がありました。松本師匠からご指導を受けてはや4年が過ぎ、今回は「濃茶」の亭主をさせていただきました。

茶の湯の作法を確立した千利休には、利休七哲と呼ばれる七人の高弟がいましたが、その内の五人が高山右近に代表されるキリシタンでした。それもあってのことでしょう、茶の湯の中には、キリスト教の影響がとても多く散りばめられています。

ですから日本文化の集約でもある茶の湯は、決してキリスト教と対立しない、それどころか隠れキリシタン達は、茶の湯の席を、礼拝の場とし、茶の湯を通して聖餐式を守ってきたのです。徳川幕府のもと200年以上に亘るキリシタン禁制の中で、茶の湯からキリスト教的なものは、消し去られように見られましたが、実際には、その作法の中に、また茶室の造りの中に、さらにその精神の中に、しっかりとキリスト教の真理が残っているのです。

「狭き門から入りなさい」「野の花を見よ」、また「もてなしの心」に見られる隣人のへの愛。そして前述した聖餐式。他にも随所にキリスト教を見ることができます。

たった一杯のお茶。しかし、その中に「もてなし」の全てを集約し、そこから永遠への想いを深めていくのです。茶の湯を通して、この世の流れから一時、わが身を離れさせ、一息つく、茶の湯とはいいものです。

関牧師



2011年2月10日

2月13日2011年の週報に掲載

先週の日曜日は、全米が興奮させられたスーパーボウルでした。真剣勝負だからこそ、プレイヤーも観客も一つになって盛り上がります。今私の心を痛めていること、それは大相撲の八百長問題です。やっぱりというか、しかし、あそこまで露骨な八百長の内容のメールを見せられるとさすがにショックです。

真剣勝負をしていた力士たちが本当に可哀想です。そして、八百長をしていた力士たちは、どんな思いで取り組みをしていたのだろうか? 良心も麻痺してしまっていたのでしょう。しかし、心のどこかで、もしバレたらという不安をいつも抱えていたに違いありません。

隠されているもので、明るみに出されないものはない、と主イエスは言われました。先週は、「永遠の命」とは、神と共に生きる命、人生だと話しました。それはとても喜びですが、同時に大変恐ろしいことでもあります。なぜなら神と共に歩むことは、神の聖なる光にいつも照らされていることだからです。

私たちは人間は隠しておきたいことが一つや二つはあるものです。だから、人間は、自分の悪い行いが明るみに出るのを恐れて、光を憎み、闇に帰ろうとするのでしょう。

しかし、主イエスは言いました。「御子が来たのは、世を裁くためではなく、世を救うためである」この福音のゆえに、私たちは、いつでも主と共に、光のうちを歩む者でありたいと思います。

関 牧師



2011年2月4日

2月6日2011年の週報に掲載

使徒信条の連続メッセージも、今日で最後になります。信仰には、体験と知識の両方が必要です。体験だけですと、それに限定されてしまって、信仰の拡がりとバランスがなくなります。知識だけですと、机上の理論、ただの理屈で終わってしまいます。

体験も知識も、両方があってこそバランスの取れた健全な信仰と言えるでしょう。使徒信条のメッセージは、私たちが一体何を信じているのかを知識として理解し、また体験として得られるようにとの願い込めて語ってきました。

私たちの信仰が、正しい聖書理解に基づき、かつ御言葉の体験に裏打ちされたものでありますように。
次週からは、今年の年間聖句であるエペソ3章14節~21節を中心にメッセージを語ります。3月9日からは受難節に入りますが、今年は、教団の先生方が分担して執筆したデヴォーションガイドが作成されましたので、3月9日から復活祭までの毎日、それを用いるこが出来ます。3月からはメッセージも十字架に向けて語られていきます。

話は変わりますが、最近悪い風邪が流行っているようです。「体の大切さ」と語っておきながら、風邪でダウンしました。それでなお「体の大切さ」を痛感しました。すべて感謝です。

オックステールスープに、生姜をこれでもか!と入れて食べました。効いたみたいです。

関牧師