2011年8月26日

8月28日2011年の週報に掲載

なでしこJAPANが世界一になったニュースも落ち着いてきましたが、彼女たちのセリフの中で印象に残った一つは「失うものはない」という言葉でした。


追われる立場と追う立場では、そこが違います。なでしこは、失うものがない。対してチャンピオンのアメリカは、失うものがある。この違いが、土壇場のぎりぎりの勝負所において、わずかな差を生じさせたのでしょう。


「大切なものを守る」これも大きな力をもたらします。しかし、その「大切なもの」が、伝統や主義主張、前例や体裁といった、本質とはずれたものになる時、その守ろうとする力は、固執となって逆に力を失っていくことになります。


「失うものはない」これは、最も大切なものでさえ、すべては神のものであるということです。それはすべてを委ね切った者の姿でしょう。私たちは「裸で母の胎から出て、裸で帰っていく」のです。


信仰生活においての勘所、それは力の抜きどころです。大切なものであるからこそ、荷を担い、握り締め、頑張ります。しかし、大切なものであるからこそ、神に委ねるという道もあります。


すべてが神のもの、私の命でさえも・・・、もともと失うものなどないのです。そこに立つときに、不思議と肩から力が取れて、逆に勇気と力がわいてくるのです。


すっきり、さっぱり、信仰もこれでいきましょう。





関牧師

2011年8月21日

8月21日2011年の週報に掲載

 本日は、「心に光を」ラジオ放送のための講壇交換です。ホノルル教会には、マキキ聖城キリスト教会に赴任された具志堅聖先生をお招きしています。

「心に光を」放送が開始されたのが1981年ですから、今年で30年目ということになります。放送当時におられた牧師は、黒田牧師が最後でした。現在の担当牧師は全員が、その志を引き継いだ者たちとなります。


人は変わり、場所も変わり、社会も変わりますが、私たちが伝えようとしていることは、昔も今も変わりありません。旧約聖書に啓示された福音も、新約聖書に啓示された福音も、初代教会が伝えた福音も、そしては、あなたが初めて聴いた、あの福音も、同じ福音です。
このイエス・キリストの福音を、私たちはこれからも伝え続けるのです。


そこで大切なことは、「伝え方」です。今の時代を読み解き、そこに生きる人々の心に思いを向け、伝わる言葉で伝えることが大切です。


ハワイの日本人社会にとって、このKZOOラジオの存在は大きな影響力を持っています。その午後2時45分という最高の時間帯をいただいて、福音を語れるのです。こんな恵みはありません。すべては「福音の宣教」のためです。このために、どうぞご支援をお願いいたします。共に、福音のために労する者でありましょう。
関牧師

2011年8月19日

8月14日2011年の週報に掲載

絶対に裁かれない、そんな集団があるだろうか? ここで言う裁きとは、罪を罪として指摘することではなくて―それは必要なこと―相手の存在を否定することです。ここに居てはいけないと、その居場所をなくすことことです。

この世の中は、裁き合いばかりです。しかし、絶対に裁かれない、つまり自分がどうであっても、常に存在が受け入れられる場所。しかも、罪を曖昧にするのではなくて、その善も悪もそのまま知られ、それでもなおかつ受け入れられる。そんな存在の居場所が、あるのでしょうか? 

その場所が教会です。絶対に裁かれない場所です。教会は、罪が示される場所でもあります。しかし、それは暗闇が光に変えられるためのものです。裁くためではありません。救うためです。その罪人を救い、受け入れたのがイエス・キリストなのです。


教会の中で、裁かない交わりが実現できるとすれば、その要因は唯一です。主イエス・キリストの十字架をを皆が経験することです。つまり、自分自身こそ、神に裁かれないという「赦し」を経験することです。


裁かれて当然の自分が、でも裁かれない。なぜ? 主イエスが十字架で神の裁きを身代わりとなって受けてくださったからです。この真理に生きるときに、真の交わりは実現されていくのです。
関牧師




2011年8月5日

8月7日2011年の週報に掲載

最近は、サウナスーツを着てマノアの谷を散歩しています。汗を流すって本当に気持ちがいいものです。
私は特に、知らない道を歩いたり、家や、庭を見るのが大好きです。車で過ぎるのとは全く違う光景が見えてきます。


ある先生のブログに書かれていたのですが、ホームレスとハウスレスという言葉を知りました。ハウスとは建物としての住居。ホームとは家庭のこと。物理的な住居を失い路上や公園で生活をされている方は、正確にはハウスレスです。ホームレスとは、家庭つまり、人と人とのつながり、社会とのつながりを失った方のことです。


以前「父の学校」で学んだ一言。「現代の父親はハウスは建てる事は出来たが、ホームを造ることは出来なかった」という言葉が思い出されます。


天地を創造され、人間を創造された神は、一日の創造の業を終えるごとに「GOOD 良かった」と言われ、最後の6日目には「Very Good はなはだ良かった」で終わっています。しかし、唯一「良くない」と言われた箇所があります。「人が一人でいるのは良くない」という言葉です。


人と人とは、いつもつながって共に生きる存在として造られたのです。ハワイはホームレス天国と呼ばれているそうですが、「レス」を取って、ホーム天国であるために、教会が希望となりましょう。


関牧師