追われる立場と追う立場では、そこが違います。なでしこは、失うものがない。対してチャンピオンのアメリカは、失うものがある。この違いが、土壇場のぎりぎりの勝負所において、わずかな差を生じさせたのでしょう。
「大切なものを守る」これも大きな力をもたらします。しかし、その「大切なもの」が、伝統や主義主張、前例や体裁といった、本質とはずれたものになる時、その守ろうとする力は、固執となって逆に力を失っていくことになります。
「失うものはない」これは、最も大切なものでさえ、すべては神のものであるということです。それはすべてを委ね切った者の姿でしょう。私たちは「裸で母の胎から出て、裸で帰っていく」のです。
信仰生活においての勘所、それは力の抜きどころです。大切なものであるからこそ、荷を担い、握り締め、頑張ります。しかし、大切なものであるからこそ、神に委ねるという道もあります。
すべてが神のもの、私の命でさえも・・・、もともと失うものなどないのです。そこに立つときに、不思議と肩から力が取れて、逆に勇気と力がわいてくるのです。
すっきり、さっぱり、信仰もこれでいきましょう。
関牧師