2011年12月28日

1月1日2012年の週報に掲載

さて、新しい一年が始まりました。今年の年間聖句は「あなたの僕たちに、御言葉を大胆に語らせてください。」使徒4:29に導かれました。
大胆に似ているけれども違うもの、それは無謀、無策、無責任です。「大胆」というギリシャ語はパレーシアです。これは「真理を公然と率直に語る。」という意味です。そしてある辞書には「言いたいことを自由に大胆に全部言えること、大胆な自由、人をはばか
らないこと」などとあります。

あくまでも、確かな意志と理解という慎重さのもと、真理を自由に語ることが、「大胆」ということです。

「大胆」の反対語は何でしょうか? 失望落胆、臆病となります。つまり「恐れ」です。

聖書の登場人物を見ると、なるほど、みんな大胆です。アブラハムも知らない土地へ踏み出し、モーセは紅海に杖を向け、ヨシュアは濁流のヨルダン川へ足を踏み出し、ダビデは裸で踊り狂い、パウロはもちろん、ペテロもヨハネも「人々は二人の大胆さに驚いた」と言われました。そして何より、イエス・キリストこそ大胆なお方でした。どんな場でも、状況でも、真理をそのまま語りました。そして「わたしが道であり、真理であり、命である」と語りました。何という大胆さでしょうか。
この一年、恐れのない信仰、大胆な信仰を求めていきましょう。

関牧師

2011年12月22日

12月25日2011年の週報に掲載

2011年も後わずかとなりました。この一年間、愛する兄弟姉妹と共に礼拝を捧げ、共に奉仕し、共に祈り合うことができたことを心から主に感謝いたします。

日本では、2011年の言葉として「絆」が選ばれたそうです。東日本大震災を通して、改めて「絆」を意識した年となりました。

さて、もしホノルル教会の2011年の歩みを一文字で現すとするなら? どうでしょうか?
「望」 私の頭に直感的に浮かんだのは、この文字でした。この年は、多くの兄弟姉妹を天国に送りました。7回の葬儀を行いました。その度ごとに、天国の希望が確かなものになりました。

また、教会が整えられていることの確かな手応えを感じました。必要とされてきてミニストリーに、喜びをもって仕える働き人が与えられました。望みがかないました。まだ空の器がありますが、必ず必要な働き人が起こされるという望みは確かです。

夢と幻を描ける教会、希望を持てる教会、そんな教会でありたいと思わされます。
「あなたの将来には望みがある。」エレミヤ31:17

2012年の鍵語は「大胆」です。詳しくは会報の巻頭言をご覧ください。すでに「恵みは十分」です。大胆に信仰を踏み出しましょう。モーセのごとくに、ヨシュアのごとくに。そこに聖霊の満たしという恵みが注がれるのです。

関牧師

2011年12月16日

12月18日2011年の週報に掲載

今日の礼拝では村田夫妻が証しをしてくださいます。結婚12年目に起こった試練、そして回復を証してくださいます。

神が人類を創造した時、まずアダムという男性、そしてエバという女性を創造されました。この二人は、夫婦であったということは意味の深いことです。

血のつながりのゆえに、夫婦よりも親子の関係が重要視されることがありますが、すべての人間関係の始まりであり基本は「夫婦」です。

社会学者が言うように、社会を構成する最小単位である家族が滅びればその社会も滅びる、とは決して言い過ぎではありません。そして、その家族を構成する要は、親子ではなく、夫婦なのです。

しかも夫婦とは、「神のかたち」(創世記1:27)なのです。夫婦を通して、神の栄光、祝福が現されるのです。だからサタンは夫婦を壊そうとします。この世には、夫婦を壊そうという力が強く働いています。

夫婦の関係が回復すること、これにまさる喜び、祝福はありません。しかし、また夫婦関係を維持することが困難であり、回復ができなかったというケースも多々あります。離婚という痛みへの癒し、そして人生の回復、すべてを益と変えてくださるという主の恵みがあることを覚えます。

一番の願いは、夫婦の回復と祝福です。しかし、たとえ離婚という結果になってしまっても、そこからの回復と祝福もまたあります。神の恵みは2重3重に張り巡らされているものです。

関牧師

2011年12月13日

12月11日2011年の週報に掲載

127日は、旧日本軍による真珠湾攻撃の70周年の日でありました。ここハワイから、世界大戦の口火が切られました。東西の真ん中に位置するハワイは、戦略上とても重要な位置を占めていたのです。

癒しの地と言われる、この美しいハワイが傷つき、その痛みは世界に拡がりました。その痛みをもたらした当時者は、まさに日本でありました。そして日本人である自分が、今ハワイに住んでいるという事実に、神の計りしれない御心があることを思います。 

真珠湾攻撃の攻撃隊長であり。歴史的な「トラトラトラ」を打電した淵田美津雄大佐は、戦後まもなくクリスチャンとなり、牧師になりました。彼は、ハワイにも来られ、米本土にも行かれ、キリストの平和の福音を宣べ伝えました。

神の回復の業は、すでに始められ、無数の多くの方々の祈りと奉仕によってハワイの地は癒しの地として回復し今に至っています。

ハワイという土地、位置、歴史の特殊性を考える時に、また日本人である自分がハワイに居るという事実を考える時に、そこに深い神のご計画があることを思います。

今度は、このハワイから、東に西に全世界にキリストの福音が宣べ伝えられますように。かつては世界に痛みが拡がりましたが、今度は、世界にキリストの癒しと愛が拡がりますように。


ホノルル教会が、福音の基地として用いられていきますように。そのために、ホノルル教会がもっともっと成長し、惜しまずに与えることの出来る教会として、またここから神の働き人を送り出せる教会として成長していきたいと思わされます。


関牧師

2011年12月2日

12月4日2011年の週報に掲載


今年は、どんな恵みがあるのか、楽しみです。128日の「心に光を」クリスマスを皮切りに、プログラムも色々あります。特に24日のキャンドライトサービスには、ご家族ご一緒に是非ともお集いください。

最近聴いた話では、ハワイのある公立小学校では、紀元前をBCBefore CHRIST)と呼ばないで、BCEBefore Common Era」。ADAnno Domini(主の年)と呼ばないでCECommon Era」と呼ぶようになっているそうです。

公の場から、キリスト教を排除する動きは加速するばかりです。1960年代に公立学校から、祈りと聖書の教えが法律によって禁止されて以来、犯罪の急増、モラルの低下が起こったと言われています。大統領の就任式において聖書に手を置く儀式がなくなるのも近い将来にあり得ることです。

確かに、特定の宗教を公立学校で強制することは良くないと思います。しかし一方で、聖書がアメリカ建国の原点でもあります。この原点が失われるとき、この国は、一体に何を基盤に立つことが出来るのでしょうか? 神に背を向けた所にある「自由」は、だたの自己中心となります。自己中心のある所には、分裂と争いが起こります。


この時、私たちは、世界の歴史の中心である「キリストの降誕」を心から祝い、教会の原点に心を向けましょう。
関牧師