アーサー師のような風貌で、タトゥーを入れ、ハーレーに乗って、サングラスをかけ、自らを不良牧師と名乗る。でも実際には不良どころか、超まじめな生活をしています。十字架を担ぐための自己節制、管理は半端じゃない。早寝早起き、日々のトレーニング、食事…。
一緒に歩いて、多くの言葉が心に残り、学びました。恵みの一時でした。
アーサー師とは、もう25年前、新宿の路傍伝道を一緒にしたことがあります。その頃の熱き想いは、自分の中で、今でも変わっていません。
私たちが、愛に生きる、喜びに生きる、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制に生きることを妨げるものは何でしょう? アーサー師は、突飛なことをします。そうすると当然批判も起こります。それを突破して、なお十字架を担ぐのは、なぜでしょうか?
関牧師
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