先週は、としさんが証をされました。自らが通って来た人生の中で、傷を受けたり、刷り込みがあったり、そのようなものが、愛することを妨げ、あるいは愛されることも妨げるようになります。また、愛はあっても、愛し方においてずれてきます。自分が愛しているつもりでも、相手には愛として伝わらないことがあります。
御霊の実の「親切の実」。それは、愛の実践です。この実に対立するものは? それは、心の傷です。そしてそこからもたらされる間違った価値観です。
なぜ私たちに癒しが必要なのでしょうか? それは、神を愛し、自分を愛するように隣人を愛するためです。つまり愛を実践するためには、心の傷が癒される必要があるのです。
すでに私たちは「キリストの打ち傷」で癒されています。だからこそ、古い自分、傷に基づいた自分の生き方に決別して、新しい自分を生きるのです。
関牧師
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