2015年7月10日

7月12日2015年の週報に掲載

 先週、夏期修養会へ参加してきましたので、その恵みをシェアします。 ホーリネスの福音は新生、聖化、神癒、栄化(再臨)ですが、現実問題として、信仰の成長がこのように起こらないという事なのです。 実際、成長しているクリスチャンが、アブラハムがイサクを捧げた時のように、どん底へ落とされるような体験をすることがあります。なぜかわかりません。

 しかし、その中にあって、聖めの深みをもっと体験しようとする人たちと、聖めは無いと言って諦める人たちがあります。 もし、私たちが信じるキリスト教がご利益宗教でしたら、聖めは無いと言った方が良いでしょう。

 十字架の贖いによって私たちは、完全に赦され救われ、聖霊を戴いたのです。 その結果、私たちの心の中にイエス・キリストが住んで下さり、聖霊の働きに身を委ね生活するのですから、私たちは何も心配する必要はないのです。

 私自身、このメッセージを受け取った時に非常に悩みました。 自分の中にイエスさまのような強さが無く、弱さがたくさんあるからです。

 聖霊に身を委ねるという事は一体どういうことなのか? 自分が無理して、一生懸命生きる事だろうか? そこには聖霊に身を委ねていない自分の姿があります。 その事に気が付き、祈って御霊に従って生きることが大事なようです。

松田従旨

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