しかし、その中にあって、聖めの深みをもっと体験しようとする人たちと、聖めは無いと言って諦める人たちがあります。 もし、私たちが信じるキリスト教がご利益宗教でしたら、聖めは無いと言った方が良いでしょう。
十字架の贖いによって私たちは、完全に赦され救われ、聖霊を戴いたのです。 その結果、私たちの心の中にイエス・キリストが住んで下さり、聖霊の働きに身を委ね生活するのですから、私たちは何も心配する必要はないのです。
私自身、このメッセージを受け取った時に非常に悩みました。 自分の中にイエスさまのような強さが無く、弱さがたくさんあるからです。
聖霊に身を委ねるという事は一体どういうことなのか? 自分が無理して、一生懸命生きる事だろうか? そこには聖霊に身を委ねていない自分の姿があります。 その事に気が付き、祈って御霊に従って生きることが大事なようです。
松田従旨
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