2019年4月26日

4月28日2019年の週報に掲載

 教会は、受難節と復活祭を過ぎ、早くも5月が近づいてきています。 今年の受難節は、「最後の晩餐」におけるイエス様の愛の記録に注目しました。 皆さんにとって今年の受難節(レント)は、どのような期間だったでしょうか?

 私は4月20日(土)のデボーションで、ヨハネ17:26のイエス様の祈りのことばが、特別な響きをもって聞こえてきました。

「あなたがわたしを愛してくださった愛が彼らのうちにあり、わたしも彼らのうちにいるようにするためです。」

 父なる神様が、御子イエス様を愛している愛で、私たちのことも神の子どもとして愛してくださっている事実 …その時、私のうちにイエス様が洗礼を受けた時の父の声が響いてきたのです。

「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」マタイ3:17

 ホノルル教会では、4, 5月と洗礼式が続いています。 天の父の愛する子に対するこの喜びは、今日も私たちに響いています。
 私たちは天の父に愛されている子ども、喜びの存在です。

高木牧人牧師

2019年4月19日

4月21日2019年の週報に掲載

 キリスト教は、“空虚な墓の上に立つ”と言われます。

 イエス・キリストが十字架で死なれたという事実のゆえに、墓があります。
 またイエス・キリストが復活されたという事実のゆえに、墓は空です。
 十字架と復活が、まさにキリスト教信仰の拠り所なのです。

 2019年、日本では令和に元号が変わる、今のこの時代に生きている私たちにとって、十字架と復活は、何を意味しているのでしょうか。

 特に、主の復活を記念するこの日、私たちの人生にも復活があることを覚えたいと思います。
 それは、肉体の死後、栄光の身体に復活するという永遠の命の希望です。イエスは「死は終わりではない」と言われました。死は私たちの人生のゴールではありません。私たちの真のゴールは、復活です。

 ゴールをどこに設定するかで、今の生き方が左右されます。復活をゴールとする人生は、希望をもたらします。その希望は、過去の出来事や、今の状況によって左右されません。なぜなら将来に属することだからです。

 復活の希望を握りつつ、主を見上げて前進しましょう。

関真士牧師

2019年4月12日

4月14日2019年の週報に掲載

 教会は、いよいよ今週から受難週に入ります。イエス様の十字架へと心を集中するこの期間、私たちは「傷跡」という新しい賛美を歌っています。

イエス様が背負っていく カルバリの丘目指して
イエス様の肩にかかる十字架は 私の罪の重み
裏切られ罵られても 泥沼から救うために
あなたの十字架 その手の傷跡は 私のための愛のしるし
あなたの十字架 その手の傷跡は すべてを捨てても貫いた愛のゆえ

 私たちを決して諦めることのできないイエス様は、私たちの罪も痛みもすべて十字架で、その身に引き受けられました。イエス様の十字架に、その愛の御手に、私たちの罪が磔(はりつけ)にされたのです。

 ご一緒にイエス様の十字架を求めていきましょう。その愛を体験しましょう。今週1週間は、集会が盛りだくさんです。ぜひ、どなたでもご参加ください。

高木牧人牧師

 ●月〜木 10:00am〜 祈り・賛美・黙想の時
 ●木 6:30pm〜 映画『エクソダス』上映
 ●金 7:00pm〜 グッドフライデー(受苦日礼拝)


2019年4月5日

4月7日2019年の週報に掲載

 新しい元号が決まりました。「令和」(れいわ)です。

 私たちは、西暦の方をよく使います、それは、イエス・キリストの誕生を境に、BC(Before Christ)と、AD(Anno Domini 主の年)に分かれるという暦だからです。
でも日本という国を愛する者として、日本固有の元号も大切にしたいと思います。

 安倍首相は、「令和」の意味を、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」と説明しました。
 まさに、互いに愛し合うという事に基づいて文化が造られるなら、それは素晴らしいことです。

 それが実現できるとしたら、「愛は神から出ている」とあるように、愛の源である神を愛することから始まるのだと思います。

 受難節もいよいよ終盤に入ってきました。来週から受難週(パッションウィーク)です。 いよいよ、主の十字架に想いを向けましょう。 そして、この地に、互いに愛し合うという、美しい文化を創り出していきましょう。 それこそ教会の出番です。

関真士牧師