2008年7月26日

7月27日週報に掲載

 「なぜ山に登るのか?」「そこに山があるからだ」どこかで聞いたセリフです。8月の会報に詳しく書いているが、私たちの教会のルーツである「タンタラスの祈り」。なぜ3人の結核患者は、タンタラスの山に登ったのだろうか? なぜ山なのだろう? そこに山があったから・・・というわけではないだろう。
 聖書において「山」とは、特別な意味があるようだ。アブラハムがイサクを捧げたモリヤ山、モーセが十戒を頂いたシナイ山、エリヤが神の声を聴いたホレブ山、イエスが昇天されたオリーブ山など。人は神を求める時、しばしば山に登る。あるいは神ご自身が山に人を呼ばれる。
 もちろん、神に出会うのに、山も盆地も関係ない。山でなければということは決してない。しかし、神を求める行動の一つとして、山に登ろうとすることは、人間の本能なのかもしれない。3人の方々も、神を求めて山に登ったのだ。
 8/2(土)私たちは、なぜタンタラス山頂祈祷会を開催するのだろうか? どこで祈っても同じではないか、確かにそうだ。しかし、私たちが、本当に神を求めていること、この街の救いを求め、神のリバイバルの御業を求めていることを、行動によって現すことも意味のあることだと思う。一方で参加出来ない方、山には登らなかった丹治兄の信仰に心を留め、登る者のために祈っていただきたい。山の上で、山の下で、心を一つにして祈ろう。聖霊が大雨のごとくに、私たちの上に注がれるように。リバイバルの教会とされるように。多くの方々が救われるように、共に祈りましょう!

関牧師

0 件のコメント: