毎週水曜日の祈祷会では、聖書通読の箇所に合わせてメッセージを語っているが、先週の箇所は使徒の働き5章であった。そこには「アナニヤとサッピラ」の事件が記されている。
教会に財産を捧げた者たちは、あくまで自発的にしたのである。もし代金が惜しければ、それを捧げる必要はなかったのだ。誰も要求していないのに、なぜアナニヤとサッピラは偽ってまで、献金をしようとしたのか? それは人の目を気にしたり、人からの栄誉を求めたからである。もし私たちの捧げものが、強いられて、惜しむ心で、廻りを気にしたものであれば、神はそれを喜ばない。神が求めているのは、額面ではなく、私たちの献身である。
教会リニューアルにおける献金は、喜びから出たものでなければならない。喜びから捧げられたもの、それは種まきと同じで、何千倍に増えて刈り取ることになる。どうか、神と自分との関係をより豊かなものにして、平安のうちに種を撒いていただきたい。
関牧師
0 件のコメント:
コメントを投稿