2008年10月31日

11月2日週報に掲載

 今から21年前、当時サンノゼでコックをしていた私は、念願の永住権の取得まで最後のインタビューの時を迎えていました。しかし、すでに聖書学院への入学を決めていた私の頭に「永住権を取得する時に、聖書に手を置いて宣誓する」という誰かの言った言葉が浮かびました。(実際には、そのような事はありません)その時、提出した書類に年数を偽って書いた事などが思い出され、それが心に重くのしかかりました。

 しばらくの葛藤の後、私は聖書の前で偽りを誓うことは出来ないと、その永住権を放棄しました。その時に、もし私が再びアメリカに来るとするなら、それはコックではなく牧師として来るのだから、ビザは神が用意してくださると信じました。永住権の放棄は、多くの方から大ばか者に思われました。そんな皆がやっているような小さな嘘、弁護士費用は無駄になってしまうし、なぜそこまで? と思われました。しかし私にとって、これから神に献身して生きていくのに、嘘の大小も、お金のことも関係ありませんでした。

 それから日本で牧会する中で、アメリカに来ることは全く考えていませんでした。それが日本に帰ってから17年たってから再びアメリカに来ることになったのです。牧師のビザは簡単と聞いていましたが、永住権の申請が一度却下されてしまいました。もし、ビザが降りなかったら…ふとそんなことも考えました。しかし、今回2度目の申請で弁護士も驚くほどの早さで取得することが出来ました。皆さんのお祈りに感謝します。それにしても、あの時に、手放しておいてよかったと心から思います。手放すことは委ねることです。手放せば、神ご自身が全責任をもって導いてくださいます。

関牧師



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