2010年5月26日

5月30日2010年の週報に掲載

まさに聖徒の凱旋にふさわしい召天でありました。肥田末雄兄は、5月23日午後、主の御許に召されました。92歳でした。

前日の午前中、幾人かの兄弟姉妹と共に病床へ行きました。すでに意識はなく、耳元で呼びかけても反応はありませんでした。枕辺で讃美歌を歌い、聖書を読み、祈りを捧げました。主の時はすでに来ていることを感じさせました。

その日の午後、教会の姉妹たちが訪問されました。そこでドラマは起こりました。耳元で呼びかける姉妹の声に「ハーイ」と返事をされ、賛美に「ハレルヤ!」と大きな声で応えたというのです。何度もハレルヤ!を繰り返されたそうです。

ついさっきまでの状態を見ていた私は、その話を聴いて本当に驚きました。そして主を賛美しました。地上での最後を、「ハレルヤ!」で終えることが出来る、これほどの祝福はありません。

そして翌日の主の復活された日に、主の御許にお帰りになりました。

肥田末雄兄は、1918年ハワイ島コナで生まれ、十歳から戦後までを広島で過ごします。そして戦後帰米二世として1961年に家族5人でハワイに移住されました。1984年にホノルル教会へ導かれ、なが子夫人と共に洗礼を受けられました。

私たちも、末雄兄の信仰の遺産を受け継いで、ハレルヤ! に向かって歩んでまいりましょう。      

関牧師



2010年5月20日

5月23日2010年の週報に掲載

カネオヘにあるホオマルヒヤ植物園で、70年に一度だけ花を咲かせる木が開花していると聴いてさっそく見に行きました。

大きな椰子の木の種類だと思いますが、上の方に見事に花が咲いていました。何だかものすごい存在感のある木でした。70年に一度ということで、もう二度とこの花を見ることないと思うと感慨も深まりました。後で気がついたことは、この種類の木は一本だけではないので、また見れるということでしたが、それでもこの木に関しては、これまでです。そしてこの木は花を咲かせて、その寿命となり、枯れてしまうということです。

この木に、もし意志があったら何と言っているのかな? と想像しました。今までは、沢山の木の中の一つで、とりわけ注目されることもありませんでした。しかし、木生?の最後に見事な花を咲かせ、今や大勢の人がわざわざ自分を見に来てくれる。木は嬉しいのだろうか? 「最後に一花さかせたぞ!」と喜んでいるのだろうか? 

それとも、「自分は何も変わっていない、昔からここにいたよ。皆が自分の花を見て喜んでくれるのはいいけど、僕は僕のまま、昔からここにいたよ」と言っているのかな?

皆さんは、どう思いますか? 木になったつもりで今の心境を語ってみましょう。

関牧師


2010年5月15日

5月16日2010年の週報に掲載

ホノルル教会に来てビックリしたのは、毎週の礼拝にゲストの方が来られることです。日本の教会では、そんなにめったに新しい方が来られることはありませんから。

ゲストの方は、観光客の方、短期、長期滞在の方、現地に住んでいる方、様々です。中には日本では教会に行っていない、これが初めての礼拝出席です、と言われる方も多くいます。そんな方々が、ハワイに滞在している間は、ホノルル教会の礼拝に出席してくださいます。何かを感じ取ってくださっているのだと思います。

それをきっかけに、日本でも教会に行き始めた方々も数え切れず、また洗礼にまで導かれた方もいます。先日も、ホノルル教会での出会いがきっかけで、日本で教会に行き始めているというメールをいただきました。本当に嬉しくて、主を賛美しました。

「人生は出会いで決まる」と言われますが、本当にそのように思います。かつて、戦争の口火を切ったこのハワイの地が、今度は人々に救いをもたらす福音の基地として用いられていきますように。ハワイに来られる方が、心も身体も魂も癒されて、満たされて、新しい歩みがここから始まっていきますように。ホノルル教会が、そのようなキリストとの出会いの場として用いられていきますように。

私たちが心から捧げている毎日曜日の礼拝の中で、様々な出会いのドラマが起こっているのです。主を賛美します!

関牧師



2010年5月7日

5月9日2010年の週報に掲載

私たちは、この母の日を、大きく分けて二つの立場で迎えていると思います。母のとして、また母の子供として。私は男性ですから、母の日というと当然、母の子供としての自分を意識します。

皆さんは、どのような気持ちで、この母の日を迎えているでしょうか? 心から「お母さんありがとう」と言える人は、とても幸いな人です。日本からは相変わらず信じ難いニュースが続きます。母の日をハッピーな気持ちで迎えることが出来るということは、それだけでとても幸せなことなのだと思います。

私は、幼い頃から、母に認められたいという思いを強く持っていました。兄よりも弟よりも、自分を認めて欲しい、賞賛してほしいと。でも、それが充分に満たされることはありませんでした。

自分を認めてくれる何かを探し求める心の旅、それは母親探しと呼ばれていますが、私もその旅をしていました。それを母に求めたり、他人に求めたり、しかし、心の空洞は決して埋まることはありませんでした。

先の3月に、母がハワイに来ることが出来ました。母も今年で喜寿になります。心の旅を終え、父なる神の無限の愛で満たされた今、母を一人の神に選ばれた私の母として接することが出来ました。私たちを本当に満たしてくれるもの、それは父なる神の愛です。この愛に満たされる時、果てしなき旅は終わり、満たされた人生へ変えられるのです。

関牧師