大きな椰子の木の種類だと思いますが、上の方に見事に花が咲いていました。何だかものすごい存在感のある木でした。70年に一度ということで、もう二度とこの花を見ることないと思うと感慨も深まりました。後で気がついたことは、この種類の木は一本だけではないので、また見れるということでしたが、それでもこの木に関しては、これまでです。そしてこの木は花を咲かせて、その寿命となり、枯れてしまうということです。
この木に、もし意志があったら何と言っているのかな? と想像しました。今までは、沢山の木の中の一つで、とりわけ注目されることもありませんでした。しかし、木生?の最後に見事な花を咲かせ、今や大勢の人がわざわざ自分を見に来てくれる。木は嬉しいのだろうか? 「最後に一花さかせたぞ!」と喜んでいるのだろうか?
それとも、「自分は何も変わっていない、昔からここにいたよ。皆が自分の花を見て喜んでくれるのはいいけど、僕は僕のまま、昔からここにいたよ」と言っているのかな?
皆さんは、どう思いますか? 木になったつもりで今の心境を語ってみましょう。
関牧師
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