例えば、目の前にフライドポテトがあります。これは間接的世界での出来事です。つまり、もとはジャガイモがあって、それが育てられ、収穫され、配送され、加工され、販売され、そしてフライドポテトとして目の前に置かれたわけです。
直接的世界とは、フライドポテトの元であるジャガイモに触れることです。あるいは種まきから関わることです。
この世の中にあるもの、日々私たちが見て、触れるものは、ほとんどが間接的世界です。その中に生きていると、フライドポテトがジャガイモから出来ていることを知らない子供が出現します。
自分は、フライドポテトなのか、じゃがいもなのか? つまり、今社会の中で加工されている自分と、もともとの本来の自分との違いがわからなくなってしまうのです。全てが仮想で、代用で、本物が何なのかが分からなくなってしまいます。
私たちの信仰生活も同じです。直接に天の父との関係を持つのです。メッセージを通して、学びを通して、人を通して、天の父を知ることもある程度は出来ますが、やはり直接です。直接一人一人が天の父との人格的関係を結ぶ、それこそが福音の真髄です。
直接的な、天の父との関係。それこそ祈りの世界です。祈りの中には、他の何者も、何物も立ち入ることは出来ません。
本物が見失われる時代にあって、私たちは物事に直接的に、そして天の父と直接的な関係を持っていきたいものです。
関牧師
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