2012年8月3日

8月5日2012年の週報に掲載

十戒から連続メッセージを語っています。後半に入って来ましたが、両親を敬うこと、殺人、姦淫、盗み、偽り、欲しはいけないと続きます。これらは、当然のこととして、してはいないと誰でも分かっていることです。人間の内にある良心は、これらが悪いことであることを私たちに教えます。

しかし一方で、私たちはいとも簡単なように、これらの戒めを破ります。そして、破る時には、それなりの理屈を作ります。これらの「してはいけない」を「しても構わない」に変えるために、ありとあらゆる理屈を作ります。屁理屈から、もっともらしい理屈まで色々あります。しかし、それらは結局のところ、自らの悪を肯定するための理屈であり、と言うことは、そのような理屈を考えること自体が、自らの悪を認めているという事になります。

今日、取り上げる「姦淫してはいけない」という戒めもそうです。性の交わりは、結婚関係において与えられた神からの祝福です。しかし、それが結婚関係以外において行われるときに、それは災いに変わります。「性」とは、人格です。この戒めを破りたい人は、「自分に正直に」とか、「愛は自由だ」とか、「性の解放だ」とか、色々な理屈を考えますが、どんな理屈があっても、時代が、流行が、マスコミが、どうであっても、「姦淫してはいけない」のです。

以下のことは「してはいけない」ことです。

    結婚前に、性的関係を持つこと。

    夫婦以外の者と、性的関係を持つこと。

もし、私たちが、神の正しい道に歩んだら、必ず祝福されます。しかし、それを破ったら、必ず混乱、痛み、苦しみがあります。しかし、もし破ったとしても、心から神のもとに立ち返り悔い改めて福音を信じるなら、全ての罪は赦されます。全ての罪は清められます。この混乱した時代にあって、もう一度、十戒に目を留めましょう。
関 牧師

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