しかし一方で、私たちはいとも簡単なように、これらの戒めを破ります。そして、破る時には、それなりの理屈を作ります。これらの「してはいけない」を「しても構わない」に変えるために、ありとあらゆる理屈を作ります。屁理屈から、もっともらしい理屈まで色々あります。しかし、それらは結局のところ、自らの悪を肯定するための理屈であり、と言うことは、そのような理屈を考えること自体が、自らの悪を認めているという事になります。
今日、取り上げる「姦淫してはいけない」という戒めもそうです。性の交わりは、結婚関係において与えられた神からの祝福です。しかし、それが結婚関係以外において行われるときに、それは災いに変わります。「性」とは、人格です。この戒めを破りたい人は、「自分に正直に」とか、「愛は自由だ」とか、「性の解放だ」とか、色々な理屈を考えますが、どんな理屈があっても、時代が、流行が、マスコミが、どうであっても、「姦淫してはいけない」のです。
以下のことは「してはいけない」ことです。
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結婚前に、性的関係を持つこと。
夫婦以外の者と、性的関係を持つこと。
関 牧師
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