私は、その時に「この声明文で本当にいいんですか?」と問いかけました。なぜなら、「癒しの教会」ということは、癒しを必要する方々、つまり傷ついた方々が来られる事を意味するからです。神は、待ってましたとばかりに、傷ついた方々を教会に送ってくださるのでしょう。大変な覚悟が要ります。
心の傷は、普段は目に見えませんが、隣人との傷と共鳴して表面に現れてくるものです。癒しの教会とは、集まる一人一人の傷が表に現される所です。ですから、もし聖霊のお働きがなければ、収拾のつかない、逆にもっと傷ついてしまう場になってしまいます。
ホノルル教会が「癒しの教会」であるためには、神の愛と、神の義が明確に現されることを必要です。傷ついた者が神の愛で包まれ、傷つける者が神の義で戒められることです。どちらがではなく、一人の人の中に、この愛と義が必要なのです。私たちは、傷つけられ、また傷つける者だからです。これは、主イエスの十字架を体験する時にこそ与えられる恵みです。
関真士師
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