クリスチャンとは、自分で名乗ったのではなく、呼ばれたのです。私たちもクリスチャンと呼ばれる存在になりたいのです。
アンテオケに集まるイエスを信じる者たちを、周囲の人々は一年の間、ずーと見ていました。そして、その集まりの一番の特徴として「キリスト」を見たのです。ですからキリスト者、すなわちクリスチャンと呼んだのです。
自分を一年間観察してもらって、その後果たして「クリスチャン」と呼ばれるだろうか? とてもそんな自信はありません。しかし、アンテオケの教会の人々には、「神の恵み」が見えていたのです。自信がなければ、なおさらのこと、神の恵みを受け入れ、恵みに生き、恵みを分かち合うのです。その時、きっとイエス・キリストが現されるのです。
私たちが、クリスチャンと呼ばれる存在になれるとすれば、神の恵みに生きることです。自分で頑張って呼ばれようと獲得するものではありません。ただ、私のために死んでくださったキリストと共に生き、感謝し、喜ぶのです。
関牧師
0 件のコメント:
コメントを投稿