小学生の時、美術の授業の中で、絵のモデルになったことがあります。皆が椅子に座って輪になっている中央に立って、腕組みしたまま1時間じっとしているのです。あの時の苦痛は今でも覚えています。
道路工事現場の警備の仕事で、景色に変化のない住宅街の中、一軒の家の前に4時間近く立ち続けることは大変な苦痛でした。
あるいは、ゆっくりすることも難しいです。本来の自分の動きのスピードよりも、動きを早くすることは易しいですが、ゆっくりすることは、はるかに難しいです。
性格もあると思いますが、そんな私ですが、じっと、ゆっくりする時に、妙な快感を覚えることがあります。お茶お稽古の時は、まさに静かに、じっくり、ゆっくり、立ち止まるという絶妙の時です。
そして、それを通して、自分のスピード、自分のやりたいこと、自分の都合… ではなく、神の***に自分の動きがアジャストされるのです。年末で慌ただしく、忙しくなりますが、神のペースに自分を合わせて、良い時を過ごしましょう。
関真士牧師
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