2020年1月31日

2月2日2020年の週報に掲載

 2月に入りました。今年の受難節は2月26日(水)から始まります。 受難日礼拝は4月10日(金)、復活祭礼拝は12日(日)となります。
 今年も、受難節のための「黙想の小冊子」をお配りします。 今年のテーマは「十字架の道行き」です。ゲッセマネの祈りから始まって十字架、復活へと、イエスの歩んだ道を御言葉に導かれて辿っていきます。

 キリスト教の伝統にある、「15の留」を取り入れています。 「留」とは、英語ではStationです。静まる、留まる、立ち止まるという意味があります。 イエスの十字架への道、その一つ一つの場面に立ち止まり、黙想し、恵みをいただきたいと思います。

 今年も、さらに深く、豊かに、主の十字架と復活を知り、体験することができますように。 十字架と復活が、自分にとって何を意味するのか、それを自問しながら黙想していきます。

まだ、その意味が分からないという方もおられます。その方々は、どうぞ、この機会を活かして求めましょう。 この十字架と復活こそ、私たちのキリスト信仰の根幹です。

16日と23日の両日に亘って小冊子を配布しる予定です。 どうぞ、ご利用ください。

関真士牧師

2020年1月24日

1月26日2020年の週報に掲載

 2020年も年が明けたと思えば、あっという間に最後の週です。雨風の多い日が続いていましたが、最近は大分暖かくなりました。

 先日ビーチに沈む夕陽をボーッと眺める機会がありました。少しずつ沈み消えてゆく光は、美しさとともに、1日の終わりを告げるどこか切ない思いにも駆られました。

 聖書には天地創造の第一日目に、すでに「神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。」(創世記1:5)と記されています。 それから夕があり、朝がある毎日が今日まで私たちの住む世界に与えられ続けているという事実は、当然ならぬ神の恵みです。

 “This is the day”「この日は 主イエスが造られた」という賛美があります。 まだ見ぬ明日に向かって生きる私たちに、主は日ごとに「新しく造られた日」を用意してくださっています。

 今日という特別な日は、もう今日以外にはありません。 2020年最後の今週1週間の日々も、喜びと感謝に溢れて「主イエスが造られた日」を味わい歩ませて頂きましょう。

高木牧人牧師

2020年1月17日

1月19日2020年の週報に掲載

 今回、3つの大切な報告があります。 この週報に、二つの手紙が入っています。

 一つは、旧杉原プロパティに関する現状報告です。 もう一つは、会計の現状報告です。

 次週26日11am より合同ミーティングの時を持ちますので、上記2つの事柄の報告と質疑応答の時を持ちます。 どなたでも是非、ご参加ください。

 「人は心に自分の道を思い巡らす。 しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。」箴言16;9

 私たちは、精一杯の知識と経験に基づいて、考え、判断し、何だかの結論を出していかなければなりません。
 しかし、同時に、すべてをはるかに超えて主の計画が成されていることを私たちは知っています。 主に全く信頼して、今私たちは出来る事、するべきことを精一杯させていただきましょう。

関真士牧師

2020年1月10日

1月12日2020年の週報に掲載

 昨年末にロサンゼルスにてイクイッパー・カンファレンスが開催されました。皆さまのお祈りを心から感謝いたします。今回も祝福に溢れた5日間でした。

 今回、2年ぶりに開催されたカンファレンスは、約400名の参加者も大半が入れ替わっていました。理由は、参加者の多くが勉強や仕事など、一時的に海外にいる人たちだからです。
 神様が海外の地で日本人を救い出し、母国日本へ送り出している現実を少しでも助けたい!その願いをもって継続されているのが、このイクイッパー・カンファレンスです。
 多くの帰国者(いずれ帰国する人たち)がいたのと同時に、日本から帰国者を受け入れるために参加した日本在住の人たち、また帰国者を送り出す側として召されている永住者の人たちでカンファレンスは成り立っています。

 そして、この3つの「帰国者」 「受け入れる側」 「送り出す側」という神の召しは、現在ハワイにいる私たちにも確かに当てはまる召しだと感じました。

 この主の宣教の現実と、確かにその主の働きに組み込まれている事実に、私たち(神の民)の宣教の網(ネットワーク)をさらに強固にしていきたく願います。

高木牧人牧師

2020年1月3日

1月5日2020年の週報に掲載

新年あけましておめでとうございます。

 昔、中国に塞翁という男がいました。 ある日のこと、一頭の馬が逃げてしまい、しかも敵の国に入ってしまったので、連れ戻すこともできません。 これは災いです。
 数日後、その馬が戻って来たのですが、なんと数匹の馬を引き連れて来ました。これは幸いです。

 ある日のこと、その馬に乗っていた息子が馬から落ちて怪我をしてしまいました。 これは災いです。
 しかし、その怪我のために、兵士に徴兵された戦争に行かなくて済みました。 これは幸いです。

 「万事、塞翁が馬」という、ことわざの物語です。

 「災い転じて福となる」とも言います。 また聖書は「万事が共に働いて益となる」(ローマ8:28)と言います。

 出来事、物事、人を、どう受け止めるかは、考え方ひとつで、幸いにも、災いにもなります。

 「神の国マインド」という言葉があります。 神の国の王である、イエスのように考え、判断していくということです。 イエスなら、どう考えるか、どうするか、そのマインドを身に着けると、すべてが幸いに変わってきます。

関真士牧師