2020年11月18日

11月15日2020年の週報に掲載

 会堂礼拝が再再開して3回目の礼拝となりました。 しかし今回から、市当局の規制に則って、会衆は歌唱ができないことになりました。

 賛美奉仕者は、10ftの距離を取ることで歌唱が許可されますが、会衆同士は、そこまでの距離を確保できません。 歌唱が禁止ですから、話すことはできます。 ですから話すくらいの感じで賛美をすることになります。
 これを聞いた時、少なからずショックを受けました。 もちろん賛美は、歌だけではありません。 賛美する心があれば、歌以外にも様々な賛美表現があります。
 しかし、それしても、賛美を歌えないというのは、かなりのフラストレーションです。 この状況の中でも自分たちにとって、最高に礼拝を捧げることが出来るのか。 いや、それは出来るはずです。 改めて、礼拝とは何か、賛美とは何か、その本質が問われているように思えます。

 会衆賛美が出来なくても、心からの賛美と礼拝を主に捧げましょう。

関真士牧師

2020年11月12日

11月8日2020年の週報に掲載

 この国の大統領が、選挙によって選ばれました。 関先生からの「大統領選挙に際して」の手紙を私も読み、教えられたことがあります。 それは、私たちに与えられている「祈り」とは、なんと力ある神の賜物なのだろう!ということです。

 私たちが、まことの神に訴え祈る、祈り自体は、どのような状況にあっても、神の民の私たちから取り上げられることのない神の賜物です。
 しかも私たちには、コロナ禍でなかなか集まれなくても、ただひとりの神に心を向けて、祈りを通して全世界の神の家族と一つにつながり続ける祝福がすでに与えられています。
 だから今こそ、すべての人のために、この国の選ばれしリーダーのために、そして私たちお互いのために、心を一つに祈りをささげる時です。

高木牧人牧師

私の祈りが 御前への香として
手を上げる祈りが 夕べのささげ物として
立ち上りますように。
詩篇141篇2節

2020年11月6日

11月1日2020年の週報に掲載

 放蕩息子が「我に返った」とあります。 ということは、彼には、返ることのできる「我」がまだあったということです。
 私たちがどれだけ偽りの自分を生きてしまっていたとしても、本当の自分は、まだ存在しているのです。

 本当の自分は「天の父に愛されている子供」です。 この自分に返り、生きるときに、私たち現代人が抱えている、4つの根本的な問題が解決するのです。

 自分には、価値にはない。自分は愛されていない。 自分はひとりぼっちだ。自分は不十分な人間だ。
 人の心を縛り、苦しめているこの4つの問題が、すべて解決するのです。

 私たちは、天の父にとって喜びの存在であり、愛されているのです。 どんなことがあっても共にいてくださるのです。 そして聖霊に満たしてくださるのです。
 イエスの十字架の福音は、まさに私たちにとっての希望です。

関真士牧師

10月25日2020年の週報に掲載

 コロナ下にあって、大変なことも当然たくさんがあるが、良かったことも多々ある。

 教会が閉鎖になってから、先例のない対応を迫られ、時間はあっても、なかなか落ち着けませんでしたが、私自身もだいぶ落ち着きを取り戻してきました。
 そんな中で、新しいクラスを二つスタートすることが出来ました。これもZOOMというアプリのおかげです。オンラインで礼拝を配信できるのも感謝です。
 そして、御言葉にじっくりと耳を傾ける中で、御言葉の深みに感動することがしばしばあります。それを伝えることが出来るのも大きな恵みです。

朝夕と愛犬チョコを散歩に連れていきますが、新鮮な空気を一杯に吸い込んで、祈ったり、賛美を聞いたり、とても恵まれた時間になっています。
 与えられた今を、大切に生きる事を教えられています。そして、楽しむことを大事にしたいと思います。

関真士牧師