2011年11月2日

11月6日2011年の週報に掲載

11月に入ると、一気にイベントが多くなって、スケジュールの管理も大変です。この土曜日と、日曜日も、二つのイベントが重なりますが、どうぞ整理してください。

●12日(土曜日)は、日本からのゲストをお招きしての、連合主催イベントです。最高に傑作なご夫婦で、旦那は太神楽の曲芸師、奥方は落語家ということで、曲芸と落語を披露していただきます。そして何と旦那さんがクリスチャンということで、信仰の証しもしてくださいます。どうぞお友達を誘っていらしてください。3PM ホノルル教会

●13日(日)は、年に一度の日英合同礼拝です。場所の問題で、普段はなかなか一緒の礼拝は持てないのですが、今回はハワイ大学のキャンパスセンターを会場にして行います。 9:30AM 開始。
 日本語部は、第一礼拝と第三礼拝は通常通りです。第二礼拝だけ合同になります。
 ハワイ大学内の駐車場をご利用できます。また教会からもシャトルが往復します。8:30AM~9:20AMの間に教会においでください。

一つ一つのイベントが、ただのイベントで終わらないで、そこに神の栄光を見ることの出きる、他には無いイベントとなりますように、どうぞ、祈りの内に覚えてください。

関牧師

2011年10月30日

10月30日2011年の週報に掲載

牧師館に開墾した「カナン農場」、とは言っても畳2枚くらいの、「猫の額」ほどなのですが。それでも、きゅうり、苦瓜、オクラ、小松菜、ズッキーニ、モロヘイヤ、パッションフルーツとそれなりににぎわっています。

それにしても、雑草が次から次へときりなく生えてきます。雑草と言っても芝生の根の取り残しのようです。困ったことですが、意外にこの雑草とりが、私にとって「無心」の時となっています。
雑草を抜きはじめると、何か無の境地に入るというか、没頭、熱中してしまうのです。牧師館の前を車かなにかで通る人は、背中を丸めて雑草とりに励んでいる私の姿を見るかもしれませんが、どうぞそのままにしてやってください。

何事も新しいことを始めるには、古いものは根こそぎ取らねばなりません。根が残っていると、しつこくまた生えてきます。これも信仰生活の要点ですね。農場の先輩が、私は一年かかったけれども、ついに生えなくなったと言ってくれました。粘り強く抜き続けたら、必ず根絶やしになります。根を抜き続けましょう。


話は変わりますが、11月の会報が出ています。年末に向けて行事が多くあります。どうぞ整理してご参加ください。今年の12月25日は主日です。洗礼、転会希望者は、どうぞ関牧師までお知らせください。

関牧師

2011年10月20日

10月23日2011年の週報に掲載

古池や蛙飛び込む水の音
これは芭蕉による有名な俳句ですね。これは、古い池に、カエルが飛び込んで、水の音がした。ということなのですが、私などは、この句に何とも表現しがたい、心の落ち着きと郷愁のような感覚を持つのですが、皆さんはいかがでしょうか?

芭蕉はここで「水の音」と表現していますが、実はここで思いが向けられているのは「音」ではなく「静寂」です。小さな蛙が池に飛び込む「チャポン」という小さなを音。その音が聞こえるほどの静寂がここにあるのです。

そこから、一気に心の風景が拡がっていくのです。この句をただの情報として捉えてしまうと、ただカエルが飛び込んだら水の音がした、そんなの当たり前のことじゃないかと、それで終わってしまうでしょう。あるいは、古池や、蛙や、そのような光景を見たことがない人にとっては、心の風景が拡がるのは難しいかもしれません。

芭蕉がこの句を通して何を表現しようとしているのか? それはこの句を、情報としてではなく語りかけとして聴き、さらにはその表現の実際を経験していなければ、理解できないことでしょう。

聖書のことばもそうです。聖書のことばは、私たちへの神の語りかけです。私たちは、そのことばの中にある、風景、人々の声、風の音、空気の匂い、足裏に伝わる大地の感触まで感じ取るものでありたいと願いします。今日から詩篇23編の連続メッセージを語ります。「主は私の羊飼い」このことばから何が拡がるでしょうか。

関牧師

2011年10月14日

10月16日2011年の週報に掲載

最近ひょんなことから、テレビで大学のバレーボールの試合が見れることを知りました。女子のリーグですが、ハワイ大学のRAINBOW WAHINEチームはダントツの強さです。まだ負けた所を見たことがないです。聞くところによると全米で9位だそうです。英語部の方の娘さんも試合に登場していて、応援にも熱が入ります。

実は、私は中学生時代に、バレーボールに青春をかけたことがありました。バレー部に入った動機は、ジャンプすると背が伸びると聞いたことです。実際にはセッターになったので、ほとんど背は伸びなかったのですが…。
しかし、毎日毎日、学校から帰っても一人で特訓して、一年生の時からレギュラーになることが出来ました。そんなんでバレーボールには胸がときめくものがあります。

バレーボールと言えば真ん中にネットがあります。ものすごく強引に話しを結び付けますが、ホノルル教会は、どれだけ人が集まっても、どんな人
が集まっても、「網は破れない」教会として成長していきたいと願っています。
網(ネット)は縦糸と横糸の組み合わせです。天の父との関係(縦糸)と他者との関係(横糸)この両者が結び合わされて網ができます。縦糸も横糸も強くなって、決して破れない網となりたいものです。その強さとは? 天の父なる神との関係は? 他者との関係は? どのくらい強いですか? その強さとは、やはり愛すること、赦すことにおける強さだと思います。

関牧師

2011年10月7日

10月9日2011年の週報に掲載

HE>i 最近、車のステッカーなどに、このマークを良く見かけるようなりました。何の意味かご存知でしょうか?ヨハネ3章30節の御言葉です。
He must become greater and greater; I must become less and less.
He greater than i という意味で、あえて "I" を小文字の "i" にしているところがポイントです。
HEとは、もちろん主イエスのことで、このマークは、ノースショアのハレイワに店を持つ一人のクリスチャンに与えられたアイディアです。
「彼は私よりも偉大だ」 この言葉はストレートで、はっきりしたメッセージですね。自分が優れていることをいかにアピールするかがこの世のテーマです。そこに、たった4文字で真っ向から切り込み、真の価値観を提示していく…、なんともスカッとします。
このような方法で、真理をシンプルに表現していくこと、これも、キリストの証人としての働きだと思います。
それにしても、「私よりも」というこの言葉、よく考えてみると、本当に言いきれることが出来るでしょうか? 主イエスは真の神なのだから当然ではあるのですが、改めて考えてみると、なんと偉大な方が、自分の神なのでしょうか! 大きな安心感を覚えました。
このHE>i が生き方の中に定着していくなら、この文字の通りに、神の偉大さを自らが体験することになるでしょう。

関牧師


2011年9月29日

10月2日2011年の週報に掲載

皆さんに一つのドラマをご紹介します。  日本のフジテレビで放送された、終戦特別記念番組『最後の絆』です。 http://www.fujitv.co.jp/kizuna/index.html
この物語は、第二次世界大戦中の沖縄戦において、兄は帰米二世としてアメリカ軍、弟は日本軍、戦争に引き裂かれた兄弟と家族の実話をドラマ化したものです。
この兄の東江盛勇さんは、サンノゼにあるサンタクララ日系人教会のフランク東さんのことです。
 私は、1984年にサンタクララ教会で洗礼を受けましたが、私を救いに導いてくれた人は、石井さん夫妻と、このフランク東さん夫妻なのです。私がいた時にも、テレビの取材を受けたり、人づてに話しは聞いていましたが、フランクさんは、米軍の通訳となって、家族と同胞を救うために沖縄に行き、洞穴などに篭っている人々に、出てくるように呼びかけたのです。
 フランクさんは、大変な心の重荷を持ちながらも、戦後イエス・キリストを受け入れ、今も92歳でお元気に、教会で奉仕をされています。改めてフランクさんの歩まれてきた道を知り、感動と共に、多くのことを考えさせられました。是非、ビデオ、インターネットを通してご覧ください。
フランクさんから感じていた、あの暖かさは、困難と苦しみを神の愛によって乗り越えた者にしかない、暖かさだと分かりました。


関牧師

2011年9月23日

9月25日2011年の週報に掲載

スリムな体系をキープし、リバウンド防止のために、庭仕事に精を出しています。そして、とうとう、牧師館の庭の一角に畑を開墾しています。芝生をはがして、土を掘り起こして、これがなかなかの重労働でいい汗を流しています。今から、どんな種を植えようかと考えると、とても楽しみです。


収穫の時は、喜びです。それが楽しみです。しかし、収穫に至るまでのプロセスには、それなりの苦労があります。体重に関しては「NO PAIN.NO GAIN」ですが、収穫に関しても「NO PAIN.NO HARVEST」です。

伝道=福音を宣べ伝えること。私たちが伝道する時、その報いは「喜び」です。一人の人がイエス・キリストを信じて救われるとき、天において大きな喜びあり、その喜びを自分も共に喜び、そして救われた者が喜ぶ、その喜びがまた自分の喜びとなる。伝道の祝福は喜びです。


しかし、この魂の収穫とも呼ばれる、この伝道も、収穫の喜びに至るまでには、それなりの苦労があります。

「涙と共に種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取るであろう」詩篇126:5とあります。普通、涙と共に種を蒔くことはありません。それは収穫を期待しているからです。しかし、この詩篇は、何度蒔いても、何度も蒔いても収穫が得られない、そんな苦しみを表現しています。それでも、種を蒔かなければ収穫はありません。だから蒔き続けるのです。そして、イエス様は言われました。「目を上げて畑を見なさい、もう色ずいて、収穫を待っている」と 今は収穫の時です。
関牧師