2018年2月23日

2月25日2018年の週報に掲載

 教会の暦では、私たち、教会は受難節(レント)を歩んでいます。神の御子である主イエス様が、十字架という底辺へと下られた苦しく険しいその道です。神の御子が十字架へと下られた道。礼拝堂には正面に十字架があります。私たちはこのシーズン、特別この十字架を仰ぎ、思いを巡らしたいと思います。

 聖歌396番に「十字架のかげに」という賛美歌があります。3節の歌詞を紹介します。
「十字架のかげを 求めつづけん 険しき坂を登るときも おらせたまえ この身を主よ 十字架のかげに とこしえまで」

 主イエス様の十字架のみもとに、私たちの赦し、平安、いやし、希望があります。あなたは、今どのような道を歩んでいるでしょうか?どんな道に立たされていたとしても、私たちは、すでに苦難の道を歩まれ、勝利をとられた主イエス・キリストの十字架のかげに、この身、この心をおきたく願います。この新しい1週間も、共に十字架の前へと歩み出させていただきましょう。

 「彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私達に平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」イザヤ書53章5節

高木牧人牧師

2018年2月16日

2月18日2018年の週報に掲載

 献身とは、文字通り、神にすべてを捧げることです。その意味は、自分の人生に「神の御心の通りになりますように」と祈り、またそのように生きることです。

 本来、もともと私たちのすべては、神のものなのですから、すべてのクリスチャンは献身者です。しかし実際に、自分の意志で、自覚的に献身を告白するとなると、躊躇される方もいます。

 牧師になるかどうか、神学校に入るかどうかは、神の召しによりますから、すべての人に求められていることではありません。しかし、そのように召されている人がいるのも事実です。

 森宗孝兄は、お仕事をリタイヤされてから、その道に進みます。関勇矢兄は、大学を卒業してすぐに、その道に進みます。私が学生の時には、上は72歳から下は18歳までが、一緒に机を並べていました。

 神の召しは、老若男女を問いません。もしかしたら、あなたも、その道に召されているかもしれません。一度は、祈ってみましょう。 そして、フルタイムかどうかにかかわらず、「御心の通りに」と祈るなら、本当の祝福は、この祈りから始まってくのです。                 

関牧師

2018年2月12日

2月11日2018年の週報に掲載

 今週の14日から、受難節(レント)が始まります。ちょうどバレンタインデーの日です。

 バレンタインデーの由来は次のようです。ローマ帝国クラウディウス2世の時代、兵士の士気を下げないために、結婚が禁止されました。しかし、キリスト教会のバレンタイン牧師は、隠れて兵士の結婚式を挙げていました。それが発覚し咎められたのですが、バレンタイン師は断固それを拒否し、それでもなお結婚式を司式しました。そしてとうとう捕えられて処刑されたのです。いわゆるチョコレートを上げるというのは、製菓会社が始めたことで、実際の由来とは関係がありません。

本来のバレンタインデーとは、「結婚の祝福」です。それは男女の愛です。愛と言っても、いわゆる自分の欲望を満たすための手段ではありません。真実の愛、本当の愛です。

レントの期間、イエスの十字架の意味が分かれば分かるほど、本当の愛が分かります。神は愛です。そして愛は神から出ています。その愛の発出する所が十字架です。なぜ酷い刑罰の道具である十字架が愛のシンボルとなって首元を飾るのでしょうか? なぜ、十字架が愛のしるしなのでしょうか?本当の愛を求めて、このレントの期間を過ごしましょう。

関牧師

2018年2月2日

2月4日2018年の週報に掲載

 先週は、関勇矢兄の「献身の証詞」がありました。牧師としては、ホノルル教会から献身者が起こされることは、大きな祝福です。働き人が一人居なくなることになりますが、それ以上の報いが教会に与えられます。それは、これまで何度となく経験してきたことです。このようにコンスタントに献身者が起こされる教会は、そう多くはありません。ホノルル教会には、このような献身者を起こすという働きが、主から与えられているのだなと思わされます。

 この3月に聖書学院を卒業する角田兄、金子姉と入れ替わるようにして入学しますが、森宗孝さんサンディさん夫妻も一緒に入学することになり、なんとも楽しそうです。

 父親としては、自分の息子が、父親と同じ道に導かれたのは、本当に嬉しいです。しかし、この世界は世襲制ではありません。勇矢自身が神からのコーリングをいただき、それを選び取り、自分の足で一歩を踏み出したことが一番嬉しいことです。

 イエスは「収穫は多いが、働き手が少ない」と言われました。さらさらに、献身者が起こされますように。神学校に入ってフルタイムの働き人になることに限らず、イエスの心を自らの心として主に仕える者たちが起こされますように。

関牧師

2018年1月26日

1月28日2018年の週報に掲載

 先週は、サンフランシスコにて、教団の牧師リトリートがあり、関真士牧師と共に出席してまいりました。当たり前ですが、ハワイとは気候が違います。スカッと目が覚めるような冷気、久しぶりの寒さを体験しました。静かな環境の中での主との1対1のクオリティタイム、そして牧師同士の特別な交わりが与えられました。感謝いたします。

 2018年も始まったと思ったら、もう今日から1月最終週です。時の流れというのは、振り返ると早く感じます。しかし同時に、最近強く神様から教えられていることがあります。それは「時」というのは常に「新しい」ということです。新しい年、新しい週、新しい1日が、時を生きる私たちには与えられています。時の中で、全く同じ瞬間というのはありません。

 生活の中で私たちは、どれだけ「新しさ」を発見しているでしょうか?神様は日ごとに私たちに「新しい恵み」を注がれます。聖歌604番に「数えてみよ 主の恵み」と歌う賛美があります。大きな青空、広い海、心地良い風、出会い、今日ここに来たこと…数えてみると、どんなにたくさんの新しい主の恵みが私たちを取り囲んでいるでしょうか!

 神様がご支配されている永遠に続く「美しい時」を新しいこの日から、また共に体験させて頂きましょう! 

高木牧人牧師

2018年1月19日

1月21日2018年の週報に掲載

 今日は、関勇矢さんの「献身の証詞」があります。「献身」とは、神にすべてを捧げることです。もちろん私たちのすべては、もともと神のものですから、全てのクリスチャンは献身者のはずです。しかし、あえて、自らの意志をもって、神にすべてを捧げて従うと決心をし、そのように生きる人を「献身者」と呼んでいます。

 その「献身者」の中で、さらに牧師、伝道者、宣教師など、フルタイムで神の働きをする人は、神学校に行って学びと訓練を受けるのが通常です。

 現在、ホノルル教会からは、角田利光兄(4年インターン生)と、金子千恵姉(一年生)が東京聖書学院で学んでいます。今年の4月には、関勇矢兄と、森宗孝さんが、入学予定です。関兄は24歳、森兄は60歳を過ぎです。私の学んでいた時には、下は18歳から、上は70歳までの方が机を並べて学んでいました。

 「主よ。私をあなたの御心のままに、ご自由にお用いください」と、自分の自由を、神の自由に捧げたとき、真の自由を経験します。「献身」もう一度、この言葉の意味を深く考えてみましょう。

関真士牧師

2018年1月12日

1月14日2018年の週報に掲載

「主の恵みは永遠まで」 本当に、主の恵みが尽きることがありません。順風満帆な時も逆風の時も、喜びの時も憂いの時も、晴れの日も雨の日も、どんな時に、主の恵みは私たちを取り囲んでいます。

れいが病を得てからのことをブログに書き綴っています。どうぞ、お読みください。
http://blog.goo.ne.jp/sanwa5510459

 人は、揺れ動く者です。何も分からない者です。科学が進歩することで、かえって人間の限界が分かります。人間が決して踏み越えることのできない、踏み越えてはいけない、神の領域があります。その境界線を守ることが平安の秘訣です。

 そして、人間としての限界を知り、自分の領域を知ることによって、私たちは安心して全力を尽くすことが出来るのです。
 信仰とは、主を見ることです。今日も、主を見上げましょう。そして、なすべきことを忠実に行いましょう。その時、道は開けてきます。

関真士牧師