2010年11月26日

11月28日2010年の週報に掲載

今日のメッセージは、「キリストの再臨」がテーマです。世の終わり、最後の審判などと言うと、いわゆる「とんでも本」が沢山あって、間違ったイメージを持っている方も多いと思います。

しかし、聖書は明確にキリストが再臨されると語っています。(使徒の働き1章11節)そして再臨への備えとして、有名な10人の乙女やタラントの譬話があるのです。そして再臨とは、私たちにとっては、精算の時となります。マタイ25章32節からの譬話には、今日語った、「生ける者と死にたる者とを審く」ということが書かれています。

初代教会の人々の祈りは「主よ来たりませ(マラナタ)」(Ⅰコリント16章22節)でした。教会はその歴史の中で、常に「主よ来たりませ」と祈ってきました。再臨を待ち望むという生き方は、クリスチャンの生き方の重要な一つです。

私たちの属するホーリネス教団は、四重の福音と言って、新生、聖化、神癒、再臨の4つを強調してきました。もちろん福音は4つだけではありませんが、再臨を福音として理解をしてきたのです。つまり主を信じて、神の裁きから免れた私たちにとって、再臨とは福音なのです。

これまで「私は再臨のキリスト」だと名乗った者は数え切れません。もちろん全て偽者です。そして再臨の日は誰も知らないのです。私たちの生き方は、再臨を待ち望む生き方なのです。

関牧師



2010年11月22日

ホノルル・キリスト教会、リニューアル2010

昨日、ホノルル教会で行われた日英合同礼拝で流されたリニューアルの歩みです。


2010年11月11日

11月14日2010年の週報に掲載

11月15日、日本では七五三です。私も昔は千歳飴をもらったのを覚えています。七五三は、七歳、五歳、三歳の節目のお祝いです。地域によっては、女子が三歳と七歳、男子が五歳と分かれていることもあるようです。

時は、平安時代にまで遡りますが、当時は三歳までは丸坊主で髪の毛を剃っていたそうです。その方が黒々とした良い髪の毛が生えると考えられていました。その子供が三歳になって髪の毛を伸ばし始めることから、それを節目として三歳のお祝いがはじまったそうです。

もちろん神社でお祝いしますので、宗教的な要素もありますが、もともとは子供の成長を喜び願うところから始まったものです。特に子供の体力や病気への抵抗力を考えて、三歳まで無事に育ってくれれば、という切実な思いの中で、三歳を迎えることの出来た感謝の時でもあります。

教会でも、この日本の文化習慣を取り入れて、毎年11月に子供祝福式を持っています。歳は七五三に限りません。子供なら誰でもというわけです。日本からのニュースを聞くたびに、時代は決して子供が安心して成長していける状況ではありません。だからこそ、教会では、子供たちに祝福を祈りたいのです。あなたは愛されるために生まれ、愛するために生かされている。あなたの存在には最高の価値があり、存在そのものが喜びであることを。ご一緒に、心を込めて、子供たちの祝福を祈りましょう。

関牧師



2010年11月5日

11月7日2010年の週報に掲載

成田に到着して、そのまま新幹線で岡山へ。色とりどりの駅弁を楽しんで8:30PM頃に岡山駅に到着。そのままれいのお父さんに回転寿司をご馳走になりました。ハワイ時間の午前2時頃になります。そこから始まって、胃薬を片手に食べに食べて、おかげで会う人ごとに丸くなったと言われています。ハワイに戻ってさっそくジムに行って汗を流しましたが、元に戻るまでには時間がかかりそうです。

岡山ではれいのお母さんの納骨式を済ませることが出来ました。工藤弘雄先生の司式のもと、家族がれいの帰郷を待っていてくれました。福島では私の父の召天一周年の集まりをお墓の前で持ちました。それぞれの家族、兄弟、そして子供たちは従兄弟たちとの再会を楽しみました。

下の二人は、念願のコンビにでお気に入りのアイスやスナックを買って大満足です。上の二人は夢にまで見た原宿でショッピング。私がかつて原宿で踊っていたと言っても、あまり想像が出来ないようです。懐かしい友達に会ったり、以前牧会していた教会の方々と再会を楽しんだり、充実した日々を過ごしました。私の母も、万座温泉に一緒にいくことが出来ました。

そして、いよいよ宣教チームへ合流しましたが、まさか自分が温泉旅館でフラを踊るとは! 人生は分からないものです。

関師





2010年10月29日

10月31日2010年の週報に掲載

車を運転していたら「やさしい悪魔」とかいう音楽が、ラジオを通して流れてきた。 私はこれを聞いてエッと思った。 歌詞の内容は最後まで聞いていなかったけれど、これって一体何なのだろうかと考えてしまった。

悪魔は悪魔なのです。 悪魔に「やさしい悪魔」とか「怖い悪魔」とかいう事は決してないのです。 もしあるとしたら、自分の心が悪魔の方に向いているのかどうかという事ではないでしょうか。 自分の心が悪魔の方に向いている時、悪魔はもっとやれ、どんどんやれと悪い心の味方になります。

しかし、私たちの心が正しく生きようとした時に、悪魔は正しく生きられないように必死になって攻撃してきます。 まるで正しく生きない方が楽みたいに、、 それが悪魔なのです。

聖書は誘惑は避けれないと書いています。その時に私たちに選択権が与えられます。 悪く生きるも、正しく生きるも自分でしっかりとそこを考えて選択するようにしましょう。

イエス・キリストは正しく生きるようにと十字架の見本を見せてくださいました。 ここに本当の愛があります。 私自身、悪魔が私の前に立ち上がったらきっと怖くなって逃げ出す者です。

しかし、イエスさまの十字架を恵みを思う時に、ちょっと十字架の苦しみをちょっと味わってもいいかなと思うアホな者です。 自分でもバカだねと思います。 イエス様こんな者をお救いください。
イエスさまの名によって祈ります。

松田従旨



2010年10月24日

10月24日2010年の週報に掲載

8月の初旬、ハーベストタイムUSAの中川洋先生がハワイに立ち寄られセミナーを開いてくださった時、「本気で神様のみ顔を求めよう!」という神様からのチャレンジをいただいた。
賛美する世界と礼拝する世界の違い、賛美とは神様をほめ賛える世界、礼拝とは私の応答が問われる世界であると教えていただいた。神様の恵みに応答していく力は神様を本気で求めていくことから与えられると教えられた。
その力をいただきたい、そう思って、今まで朝食の後に持っていたデボーションの時間を30分早起きして朝食前に持つことにした。朝早く暗いうちに山に登り父なる神様との交わりを持たれたイエス様の御姿を思いながら天のお父様の御前に出ると、もうそれだけで心は満たされていく。聖書を開き、みことばを読み、黙想し、祈る。想像を超えた恵みの世界に神様は導いてくださる。自分の経験、能力、知恵、植えつけられた固定観念など、何と有限の世界に私は閉じ込められていることか、そしてそれが真理を曇らせていることかを神様は教えてくださる。

無から有を創造される神様の力を本気で信じていく時、神様の無限の恵みの世界がそこに広がっていく。
その恵みに与る道をイエス様が開いてくださった。その御愛に感動し感謝が溢れてくる。そうした神様との交わりの中で日々新しい発見があり、解放されていく自分がある。
「安心して行きなさい。」神様の御声に励まされ、神様への信頼と平安と喜びに満たされて、外の世界へ心を開いて歩み出す1日が始まる。
神様の恵みに応答する力は神様との交わりを通して日々神様が与えてくださることを実感している。

伊藤 明子



2010年10月14日

10月17日2010年の週報に掲載

 近くの教会でブックセールがあり、かすかな期待をもって出かけました。ほとんどが英語の本ですが、日本語の本も十数冊ありました。その中から自叙伝と歌集の3冊を求めました。著者はクリスチャンの女性たちです。

 フレイタス絹江さんの歌集の表紙の裏に、墨で「遠田あやめ」とあり、胸をつかれました。ご家族が遠田さんの遺品を教会に寄付されたのです。遠田さんはホノルル教会の昔からの信徒で、晩年はご家族と共に米本土で過ごされました。
いつも笑顔で「アイラブユー」と挨拶される方でした。また祝会では詩吟を朗々と披露されました。そんな彼女が歌人であったことを知る人も、少なくなりました。

 教会の宝である信仰の友が、高齢や病のために天に召され、本当に淋しくなりました。 また、ケアホーム、ナーシングホームに移られました。お一人になり、ご家族のもとに引っ越されたり、住まいを郊外に移された方もいて、なかなかお会いできません。
80歳以上の方をお祝いする「敬老の祝賀会」も、お祝いを受ける参加者が少なかったです。 祝会は大いに盛りあがりましたが、人生の幾多の苦難を乗り越え、信仰の馳せ場を忠実に歩んでおられるシニアのお一人、お一人に、神の恵みと平安がありますように。

カラマ正子