2007年11月22日

8月12日週報掲載


 クリスチャンの生き方の一つとして「仕える」」ということが挙げられる。イエスが弟子達の足を洗ったように、私たちも互いに足を洗い合いなさい、というのが聖書の教えである。「仕える」ということは、リーダーシップと対立するように感じるかもしれないが、「サーバント・リーダーシップ」という言葉を聞いたことがあるだろうか。「仕える僕としてのリーダー」ということだが、仕えることこそ、正しいリーダーシップであるということだ。
 私が2年前に、ホノルル教会の副牧師として赴任した時のことを思い出す。若いとはいえ12年間あまり牧師をしてきて、また副牧師として奉仕することにチャレンジを感じた。なぜなら日本の副牧師という立場は、神学校を卒業したての研修生というイメージがあるからだ。しかし主が私に、この時期にもう一度、一歩下がって仕えることを学ばせようとしていると悟ったので、感謝をもってホノルルに来た。そして「仕える」こと、特に主任牧師である鈴木先生に仕えることを最も大切なこととして考えていた。
 しかし、この2年間は仕えるどころか、やりたいこと、言いたいこと、何でも受け入れられ、鈴木先生、弘子先生に、甘えっぱなしであった。その反面、鈴木先生はどれだけ忍耐と信仰をもって、私を見守っていてくださったのかを思う。「仕える」などと意気込んで来た私だったが、仕えてくださったのは鈴木先生の方であった。

 教会の将来を考え、つまり最も大切なことのために、自らを捧げ切てくださった、その姿に真の牧会者としての生き様を見せていただけた。確かに私は「仕える」ことを学ぶことが出来た。私も鈴木先生の後ろ姿に倣っていきたいと思わされている。

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