2007年11月23日

11月25日週報に掲載

 毎年、この時期になるとズボンがきつくなって困る。七面鳥の丸焼きと言えば、私の小さい頃には、マンガの中でしか見たことのない夢のごちそうだった。しかし、7,8歳の頃だったと思う。あるパーテイーで、なんと七面鳥の丸焼きが運ばれて来たのだ。私は2歳上の兄と、大興奮した。しかし、お皿に乗ったのは、たった一枚の薄い肉だった。あまりのショックで兄としばし目が点になっていた。まさか丸焼きのまま、自分の皿に乗るわけがないのだが、子供心に描いていた、丸焼きにがぶりつく、という夢はかなわなかった。
 それが、19歳の時に渡米して、感謝祭、クリスマスと、たて続けに七面鳥にお目にかかり、感激したのを覚えている。さすがにがぶりつくことが出来なかったが、思う存分食べたのを覚えている。おまけに先だって教団総会で訪れた北カリフォルニアでは、宿泊した家の前を野生の七面鳥の家族が仲良く歩いていた。こうして私の七面鳥に対する想いも、充分に満たされたのだった。
 小さい頃の満たされない欲求は、その人の人生に大きな影響を与えることがある。特に人間は、「愛されるために生まれた」。それは言い方を変えれば、「愛されないと生きられない」ということだ。あなたは充分に愛された生きて来ただろうか。それとも、もっと愛されたいという夢を追いかけているだろうか。
 私は、同じく19歳の時に、イエス・キリストを信じた。そして求め続けていた本当の愛に満たされた。1984年のクリスマスに洗礼を受けたのだが、私にとってその年は、お腹も、魂も満たされた素晴らしい年であった。

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