2007年11月22日

9月16日週報掲載


 毎週の礼拝の時、自分はいつも一番前の席に座っている。そうすると廻りの人が目に入らないので、ただ一人で主の御前に出ているような気になる。そうすると主に向かって心を集中できるのがいい。一方で、賛美の時などは、背中にみんなの賛美の圧力を感じて、なんだか1万人の会衆の中で賛美をしているような気になって、それも素晴らしい。情報と映像が氾濫している時代、たくさんの心を煩わせるものに囲まれている時代だからこそ、礼拝の時には、ただ主にのみ心を向けていきたい。

 以前、ある賛美のコンサートで、雰囲気が盛り上がってきたので、思わず立ち上がってしまった。そこで廻りの人たちもつられて立ってくれたら良かったのだが、誰も立たなかった。ふと気が付くと自分1人で立っている、なんだか寂しいような、恥ずかしいような気になった。その廻りを気にするあたりは、まさに日本人である。

 昨日は12時間連続賛美祈祷があった。このコラムを書いている今は、まだ明日のことだが、きっと素晴らしい恵みを頂くに違いないと思っている。ZAWAMEKI代表の滝元開師が語っていたことだが、日本各地でコンサートする中でアンケートを取ると次のような言葉が多いと。「何だか分からないけど、心が安らいだ」「何だか分からないけど、涙が止まらなかった」など、「何だかわからないけど」という言葉が多いそうだ。

 まさに、そこが聖霊の働きだ。特に音楽は人間の理性を超えて、直接魂に届く力を持っている。賛美は、直接人々の魂に語りかけるものだ。何だかわからないけど、聖霊が人間の一番深い所に触れてくださっている。今日も、心から賛美を主に捧げよう。

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