2010年10月29日

10月31日2010年の週報に掲載

車を運転していたら「やさしい悪魔」とかいう音楽が、ラジオを通して流れてきた。 私はこれを聞いてエッと思った。 歌詞の内容は最後まで聞いていなかったけれど、これって一体何なのだろうかと考えてしまった。

悪魔は悪魔なのです。 悪魔に「やさしい悪魔」とか「怖い悪魔」とかいう事は決してないのです。 もしあるとしたら、自分の心が悪魔の方に向いているのかどうかという事ではないでしょうか。 自分の心が悪魔の方に向いている時、悪魔はもっとやれ、どんどんやれと悪い心の味方になります。

しかし、私たちの心が正しく生きようとした時に、悪魔は正しく生きられないように必死になって攻撃してきます。 まるで正しく生きない方が楽みたいに、、 それが悪魔なのです。

聖書は誘惑は避けれないと書いています。その時に私たちに選択権が与えられます。 悪く生きるも、正しく生きるも自分でしっかりとそこを考えて選択するようにしましょう。

イエス・キリストは正しく生きるようにと十字架の見本を見せてくださいました。 ここに本当の愛があります。 私自身、悪魔が私の前に立ち上がったらきっと怖くなって逃げ出す者です。

しかし、イエスさまの十字架を恵みを思う時に、ちょっと十字架の苦しみをちょっと味わってもいいかなと思うアホな者です。 自分でもバカだねと思います。 イエス様こんな者をお救いください。
イエスさまの名によって祈ります。

松田従旨



2010年10月24日

10月24日2010年の週報に掲載

8月の初旬、ハーベストタイムUSAの中川洋先生がハワイに立ち寄られセミナーを開いてくださった時、「本気で神様のみ顔を求めよう!」という神様からのチャレンジをいただいた。
賛美する世界と礼拝する世界の違い、賛美とは神様をほめ賛える世界、礼拝とは私の応答が問われる世界であると教えていただいた。神様の恵みに応答していく力は神様を本気で求めていくことから与えられると教えられた。
その力をいただきたい、そう思って、今まで朝食の後に持っていたデボーションの時間を30分早起きして朝食前に持つことにした。朝早く暗いうちに山に登り父なる神様との交わりを持たれたイエス様の御姿を思いながら天のお父様の御前に出ると、もうそれだけで心は満たされていく。聖書を開き、みことばを読み、黙想し、祈る。想像を超えた恵みの世界に神様は導いてくださる。自分の経験、能力、知恵、植えつけられた固定観念など、何と有限の世界に私は閉じ込められていることか、そしてそれが真理を曇らせていることかを神様は教えてくださる。

無から有を創造される神様の力を本気で信じていく時、神様の無限の恵みの世界がそこに広がっていく。
その恵みに与る道をイエス様が開いてくださった。その御愛に感動し感謝が溢れてくる。そうした神様との交わりの中で日々新しい発見があり、解放されていく自分がある。
「安心して行きなさい。」神様の御声に励まされ、神様への信頼と平安と喜びに満たされて、外の世界へ心を開いて歩み出す1日が始まる。
神様の恵みに応答する力は神様との交わりを通して日々神様が与えてくださることを実感している。

伊藤 明子



2010年10月14日

10月17日2010年の週報に掲載

 近くの教会でブックセールがあり、かすかな期待をもって出かけました。ほとんどが英語の本ですが、日本語の本も十数冊ありました。その中から自叙伝と歌集の3冊を求めました。著者はクリスチャンの女性たちです。

 フレイタス絹江さんの歌集の表紙の裏に、墨で「遠田あやめ」とあり、胸をつかれました。ご家族が遠田さんの遺品を教会に寄付されたのです。遠田さんはホノルル教会の昔からの信徒で、晩年はご家族と共に米本土で過ごされました。
いつも笑顔で「アイラブユー」と挨拶される方でした。また祝会では詩吟を朗々と披露されました。そんな彼女が歌人であったことを知る人も、少なくなりました。

 教会の宝である信仰の友が、高齢や病のために天に召され、本当に淋しくなりました。 また、ケアホーム、ナーシングホームに移られました。お一人になり、ご家族のもとに引っ越されたり、住まいを郊外に移された方もいて、なかなかお会いできません。
80歳以上の方をお祝いする「敬老の祝賀会」も、お祝いを受ける参加者が少なかったです。 祝会は大いに盛りあがりましたが、人生の幾多の苦難を乗り越え、信仰の馳せ場を忠実に歩んでおられるシニアのお一人、お一人に、神の恵みと平安がありますように。

カラマ正子



2010年10月7日

10月10日2010年の週報に掲載

最近、雨が降って気温が下がりこれから冬を迎えるのかなと思っていましたが、とんでもありません。再び太陽がサンサンと照り輝いて夏日に逆戻りしたようです。

私は先日、私用でオアフ島の中央にあるワイパフへ行ってきました。 そのついでに周辺地域、エバビーチ、カポレイと回ってきました。 その昔、サトウキビ畑だった所が今、どんどんと住宅地に変わっています。 たくさんの家を建てる事が出来る土地があり、将来性があります。 その周辺には、大きなショッピングセンターが建ち、これからの開発に期待できそうです。 その中のショッピングセンターの一画を利用して、ニューホープという大きな教会が建っていました。 現在は合計で3000名ぐらいの人達が5回の礼拝に来られておられるそうです。 ただ、日語ミニストリーが無いそうで、必要性を感じました。

そこから、1キロも離れていない所に私たちの姉妹教会、ウェストオアフ教会があります。 ぜひ日本語ミニストリーを広げて欲しいと思っています。

エバビーチには、古い町並みがありますが、その古い町並みのすぐ隣りに新しく開発された広い住宅地があります。 私はその中間の道に立って不思議な感じを覚えました。 道を隔てて、新しい住宅地と古い住宅地が存在しているのです。 何年も立つとその隔てが無くなるのでしょうか? それともこのまま別々の住宅地がそのまま存在し続けるのでしょうか?

古い町並みが新しくなるには、大きなチャレンジがあるような気がします。 古いものと新しいものとの違いと調和、私もイエス様によって調和の中を生きたいと思うこの頃です。

松田従旨



2010年9月30日

10月3日2010年の週報に掲載

礼拝で「使徒信条」の連続メッセージをしています。一言、一言に重みがあります。今日は「陰府にくだり」ですが、同じ「よみ」でも「黄泉」という漢字もあります。口語訳では「黄泉」、新改訳は原語のまま「ハデス」、新共同訳は「陰府」となっています。「黄泉」は、日本神話から出てきた言葉で、地下の泉という意味から、地下にある死者の世界を現す言葉になったそうです。「黄泉」では、聖書の現す「ハデス」を充分に表現できないので、「陰府」と現在ではなっています。

「陰府」と「地獄」(ゲヘナ)とは違います。陰府とは、最後の審判を受ける前の待機所みたいな所のようです。地上でイエスを信じた者は天国へ、そうでない者は最後の審判の時まで陰府で待機するということです。

この陰府において、イエスを信じるチャンスがもう一度あるという説と、それはないという説の二つがあります。これを「セカンドチャンス」と言いますが、それがあるのか、ないのか?

聖書は、基本的には今生きている私たちが、この地上でイエスを信じるかどうかに焦点が当てられているので、セカンドチャンスについては断定できる聖書的根拠は充分ではありません。しかし、福音を聴くことなく亡くなった方や、幼子たちを考えると、そこに神の恵みがあって当然と思います。            

関牧師



2010年9月23日

9月26日2010年の週報に掲載

連日のように報道されていた日本の暑さも峠を越えて、秋の気配がしてきたようです。ここハワイでも、なとなく秋の気配がしてきました。ハワイ生活5年半で、微妙な季節の変化も分かるようになってきました。

その季節の変化を感じさせてくれるのが風の匂いです。皆さんはどうなんでしょうか? 私の場合は風の匂いにとても敏感です。そして風の中に、様々な風景が浮かんできます。ほとんどが子供の頃の風景なのですが、友達と真っ黒になるまで遊んで、家に帰る途中の夕暮れ時の風景、夏祭りの終わった夜道で感じた秋の訪れ…。

日本にいた時には、そうでもなかったのですが、ハワイに来てから、風の中にとても懐かしさを感じたり、風景が浮かんだりするのです。とにかくハワイの風が大好きです。しかもフリーです。まさに神の恵みです。

神の聖霊は風に譬えられますが、その時、その時に吹く聖霊の風も私たちの心に語りかけてくださいます。そして天の父の懐へと私たちを導いてくださいます。

さて、また一ヶ月ほど、教会を留守にします。その間、どのような賜物が新たに発見され、教会がキリストの体として成長するか楽しみです。聖霊の吹くままに全てを任せていきます。

関牧師



2010年9月17日

9月19日2010年の週報に掲載

とうとうやられてしまいました。車上荒らしです。話にはよく聞きますが、自分が経験したのは初めてです。しかもドンキの駐車場でした。運転席のカラスを破られて中にあった喜歌のバッグと光輝のスクールバッグが取られました。喜歌は若干の現金とお気に入りのバッグ、ギフトカードなど、光輝は宿題です。最初はしょげていた光輝も、これで今日は宿題をやらなくていいと分かると途端に元気になったそうです。

でも、帰りの車の中は、賛美の大合唱になりました。これも大いなる祝福の前触れと分かるからです。そしてバッグは奪われても、「あなたがの喜びを奪い去るものはない」ヨハネ16:22 と約束されているからです。

さて、話は変わりますが、中村裕二先生が待望のCDをリリースしました。ガンとの闘病の中で「天から賛美が降ってくる」という経験をされ、生み出された12曲の賛美です。聖歌、讃美歌に収められている賛美の多くは、苦難の中から生まれたものばかりです。だからこそ、主の臨在が鮮やかにされるのでしょう。そして多くの苦難にある方々を賛美を通して主の臨在の中に導き入れるのでしょう。

どんな中になって、決して奪い去られないものがあります。それは喜びです。なぜなら主の恵みは、そこにもあるからです。『聖霊の風が』の賛美が、豊かに用いられますように祈ります。

関牧師