2014年4月17日

4月20日2014年の週報に掲載

 復活の主を、心から賛美します。

 多くの教会は、伝統的に日曜日の朝に礼拝をしています。もちろん、日曜日以外は、礼拝できないということではありません。私たちは常に、どこに居ても、神を礼拝する者たちです。

 日曜日の朝というのは、イエスが復活したのが日曜日の朝だからです。カレンダ―では、日曜日は週末ではなく、週の始まりです。ですから日曜日が左端にありますね。

 私たちは、この朝、天地を創造された神。私たちのために十字架で死なれ、救いを完成してくださった主イエス。今も、私たちと共にいてくださる聖霊なる神。この三位一体なる真の神を礼拝するのです。

 ここから新しい一日が始まり、新しい一週間が始まり、新しい人生が始まるのです。

 復活祭とは、キリストが復活されたことを記念する日です。主は今もいきておられる! これが私たちの信仰です。

 ご一緒に、主の復活を祝い、だたし昔の出来事を懐かしむのではなく、今も生きておられる主を喜ぶのです。

関牧師

2014年4月10日

4月13日2014年の週報に掲載

 いよいよ今日から受難週に入る。英語ではPassion Weekと言います。Passionとは、情熱と訳されますが、同時に痛みとも訳されます。メル・ギブソンが制作した映画「Passion」は、痛みの意味で、主のイエスの十字架の痛みを表しています。

 情熱と痛み。意味として結びつかないようにも思えますが、イエスの十字架の痛みは、神の熱情の愛のゆえであることを考えると意味が結びつきます。 神の私たち人間への愛は、無条件、無代価、一方的、ただ与えるのみ。最後には、十字架で命まで捨ててくださった。

 私たちは、十字架を必要としているのでしょうか?十字架を必要とするのは、罪人だけです。正しい人、無関心な人は、必要としません。なぜなら、私たちの罪の刑罰を身代わりとなって受けてくださったのが、十字架の死だからです。

 イエスの十字架は、私のために、私の罪のために、と言える者でなければ、十字架とは無関係です。私たちは、十字架を見上げる者ででしょうか。それとも十字架に敵対する者でしょうか? 受難週の時、共に十字架の主の前に立たせていただきましょう。

関牧師

2014年4月4日

4月6日2014年の週報に掲載

 受難節も佳境に入って来ました。今年は18日(金)7PM~日英合同でグッドフライデーの集会が持たれます。是非ご参加ください。
黙想の小冊子を配布して、礼拝後に分かち合いの時を持っています。まだ受け取っていない方は受付で頂いてください。

 今年の受難節のテーマは「御霊の実を結ぶために」です。そのために、まず御霊の実に対立するものを自分の内に発見すること。その肉なる思いを十字架につけてしまうということです。「対立」ですから、最後には「勝利」で終わりたいと願っています。

 「親切の実」「善意の実」、それは愛を動機として、愛を実践することです。この愛することに対立するものは、自己中心です。この自己中心を強化するものが「心の傷」です。私たちは、指先の小さな傷でも、痛みがあると全身の神経がそこに集中します。心の傷も同様に、その痛みに捉われてしまうのです。そうすると、常に自分の痛みが中心で、被害者意識に陥ります。私たちが愛するために生きるには、心の傷を癒していただいて、受けることから、与えることに生き方を変革することです。

関牧師

2014年3月27日

3月30日2014年の週報に掲載

 角田ファミリーが、とうとう明日(3月31日)、ハワイを発ちます。ビザも無事に降りて、家族揃って出発することが出来るようになりました。4年間の必要経費もすべて満たされました。ハレルヤです。

 先週は、としさんが証をされました。自らが通って来た人生の中で、傷を受けたり、刷り込みがあったり、そのようなものが、愛することを妨げ、あるいは愛されることも妨げるようになります。また、愛はあっても、愛し方においてずれてきます。自分が愛しているつもりでも、相手には愛として伝わらないことがあります。

 御霊の実の「親切の実」。それは、愛の実践です。この実に対立するものは? それは、心の傷です。そしてそこからもたらされる間違った価値観です。

 なぜ私たちに癒しが必要なのでしょうか? それは、神を愛し、自分を愛するように隣人を愛するためです。つまり愛を実践するためには、心の傷が癒される必要があるのです。

 すでに私たちは「キリストの打ち傷」で癒されています。だからこそ、古い自分、傷に基づいた自分の生き方に決別して、新しい自分を生きるのです。

関牧師

2014年3月23日

3月23日2014年の週報に掲載

 いよいよ角田利光さん、愛美さん、愛架ちゃんが、日本へ出発します。主の働きのために、全てを捧げての献身の生涯のスタートです。この家族に主はどのような計画を持ち、どのように用いてくださるのでしょうか? 楽しみです!

 今年の東京聖書学院の新入生は10名だそうです。感謝です。無事2年生になる中川祐真兄も、訓練と学びを得ながら元気に学んでいます。お祈りを感謝します。

 先週は、寛容に対立するものとして「裁き」について考えました。主イエスが最も嫌われたのが、「裁く」ことです。私たちは、主が自分自身にしてくださっているのと同様に、自分に対しても、他者に対しても、寛容な者でありましょう。お互いが、その成長を「待ち望む」者でありたいと願います。

 今日は、としさんの証を通して、愛されること、愛すること、互いに愛し合うことについて考えさせられます。愛することに対立する肉とは何でしょう? 自分の内にそれはあるでしょうか?

 私たちの過去の経験が、愛され、愛することを妨げることがあります。それらを見出したら、十字架に釘付けにしてしまいましょう。

関牧師

2014年3月14日

3月16日2014年の週報に掲載

 今週は、アーサーホーランド師の十字架行進で、ハワイは盛り上がりました。彼の周りには、自然と人が集まってきます。普通ではできない、一つのことをやり遂げている人には魅力があります。

 アーサー師のような風貌で、タトゥーを入れ、ハーレーに乗って、サングラスをかけ、自らを不良牧師と名乗る。でも実際には不良どころか、超まじめな生活をしています。十字架を担ぐための自己節制、管理は半端じゃない。早寝早起き、日々のトレーニング、食事…。

 一緒に歩いて、多くの言葉が心に残り、学びました。恵みの一時でした。

 アーサー師とは、もう25年前、新宿の路傍伝道を一緒にしたことがあります。その頃の熱き想いは、自分の中で、今でも変わっていません。
 私たちが、愛に生きる、喜びに生きる、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制に生きることを妨げるものは何でしょう? アーサー師は、突飛なことをします。そうすると当然批判も起こります。それを突破して、なお十字架を担ぐのは、なぜでしょうか?

関牧師

2014年3月7日

3月9日2014年の週報に掲載

 先週は、受難節のための『黙想のしおり』を配布しました。まだ受け取っていない方は、受付で頂いてください。
又はインターネットで見ることも出来ます。ココをクリックして下さい。

 この時、自らの内にある「御霊に逆らう肉」をすべて十字架に釘付けにしてしまいましょう。本当の戦いは、自らの内にあります。この戦いに勝利して、御霊の実を結ぶ者とされましょう。

 今年のグッドフライデーのテーマは「勝利の十字架」です。真の勝利を得るために、この受難節の期間、自らの肉と向き合い、悩み、そして十字架の主のもとにまで導かれましょう。

 今朝の礼拝では、英語部のPastor Jon Pak先生がメッセージを語ってくださいます。初めての日語部の講壇にお招きします。どうぞご期待ください。

●この11日は、東日本大震災から3年目を迎えます。復興が進んでいる地域と、まったく進まない地域との格差があります。また原発の問題は依然として解決の見通しさえ立ちません。そこに住む人々、支援に携わっている方々を覚えます。私たちが「関心を持ち続ける」ことが、まず大切なことだろうと思います。中澤竜生先生からのニュースレターが同封されています。どうぞお読みください。

関牧師