2020年4月23日

4月12日2020年の週報に掲載

 主の復活を心から喜びます!

 今最も試みられている事の一つは、教会の在り方でしょう。個人の信仰も振るわれていますが、それ以上に「集まれない」ということにおいて、教会が振るわれているのだと思います。なぜなら教会とは、まさに「呼び集められた者たちの集まり」だからです。集まりである教会が、集まれないのです。

 そこで改めて考えてみたいと思います。私たちは、どこに集まるのか? です。教会という集まりは、目に見える場所のことだけなのでしょうか。

 「どこに?」という問いかけに対して、2207 Oahu Avenueと答えるならば、私たちの集まりは無いことになります。
 でも、「イエス・キリスト」と答えるなら、今も集まりは有ることになります。

 私たちは、集まれないのではありません。私たちは、イエスのもとに、今も、集められているのです。私たちを一つにするのは、場所ではなく、イエスへの信仰なのです。

 確かに、ホノルル・キリスト教会は、今も有るのです。

関真士牧師

2020年4月6日

4月5日2020年の週報に掲載

 世界中が揺らされている中にあって、私たちは今日も何ものにも揺るがされない真理、主イエス・キリストに望みをおいて歩ませて頂きたい、と強く願います。

 ともに相集うことのできない状況にありますが、今日も私たちは神の家族、主の教会、「ひとつ」を生きています。

 電話やメール、インターネットのZOOMやLINEなどを用いつつ、神の家族としてのつながりを絶やさずに、この緊迫した状況をも乗り越えていきたく願います。

 今こそ、祈りあっていきましょう。支え合っていきましょう。

 この状況は必ず収束します。再び私たち教会が、「ひとつ」に集うその日を待ち望みつつ、新しい1週間も前進しましょう。

 特に今週は、受難週です。ZOOMでも金曜日まで毎日午前10時より黙想の時を持ちます。参加希望の方は、お知らせください。 (メールでも皆さんに告知いたします)

 皆さんの心と身体も守られて、私たちの救い主イエス様を、さらに深く知る1週間となりますように。

高木牧人牧師

2020年4月1日

3月29日2020年の週報に掲載

 ハワイに住む私たちの生活にも、大きな影響が出ています。 レイオフ、給与カット、解雇が始まり、通常の生活に困難が生じている方もおられるでしょう。

 こんな時、聖書のことばは、私たちにとって、どう響くのでしょうか。 私たちの信仰は、どのように働くのでしょうか。

 聖書の書かれた時代にも、このような疫病の流行は多々あったようです。 もちろん今のような医学のサポートはありません。 そんな中、人々を支えるのは信仰しかなかったのです。 信仰心が強いからではなく、状況によって恐れ、不安になるからこそ、主なる神に頼ったのです。

 ぜひ、詩篇91篇を読んでください。 一言一言声に出して、噛みしめように、味わうように、聴くように読んでみてください。

 今のこの道にも、主はおられます。主の臨在があります。「イエスは、真ん中に立って言われた、平安あれ」(ヨハネ20:19)

 この問題の真ん中にイエスが立たれています。 イエスのくださる平安をいただいて、共に歩んでいきましょう。

関真士牧師

2020年3月23日

3月22日2020年の週報に掲載

 過去17世紀にイタリヤでペストが流行した時に起こったことは次のことでした。

外国人への差別、当局間の激しい争い、感染者をヒステリックなまでに捜索し、専門家を軽視し、感染させた疑いのある者を狩り、デマに翻弄され、愚かな治療を試し、必需品を買い占め、医療現場の混乱が起こった。

まるで現代のことを言っているようです。 病気自体の問題に、上記のような問題が上乗せされることで、苦しみが増していきます。

新型肺炎という目に見えないウィルスは、人の心に恐れをもたらし、社会全体に混乱と無秩序をもたらします。 私たちは、心を落ち着けて、集団パニックに巻き込まれないようにしましょう。 基本的な手洗いうがいなどを行い、日常生活を歩みましょう。

私たちの行動基準は、神を愛すること、隣人を愛することです。 この基準に則って考え、判断し、行動していきましょう。

今は受難節の時です。 「立ち止まり」自分を見つめ、主をみつめ、主からのメッセージを受け取っていきましょう。

関真士牧師

2020年3月13日

3月15日2020年の週報に掲載

 過去17世紀にイタリヤでペストが流行した時に起こったことは次のことでした。

 外国人への差別、当局間の激しい争い、感染者をヒステリックなまでに捜索し、専門家を軽視し、感染させた疑いのある者を狩り、デマに翻弄され、愚かな治療を試し、必需品を買い占め、医療現場の混乱が起こった。

 まるで現代のことを言っているようです。 病気自体の問題に、上記のような問題が上乗せされることで、苦しみが増していきます。

 新型肺炎という目に見えないウィルスは、人の心に恐れをもたらし、社会全体に混乱と無秩序をもたらします。 私たちは、心を落ち着けて、集団パニックに巻き込まれないようにしましょう。 基本的な手洗いうがいなどを行い、日常生活を歩みましょう。

 私たちの行動基準は、神を愛すること、隣人を愛することです。 この基準に則って考え、判断し、行動していきましょう。

 今は受難節の時です。 「立ち止まり」自分を見つめ、主をみつめ、主からのメッセージを受け取っていきましょう。 

関真士牧師

2020年3月6日

3月8日2020年の週報に掲載

ヴィア・ドロローサ

 この言葉はラテン語で「苦難の道」という意味です。 イエス様の十字架の道、その最期の道はヴィア・ドロローサと呼ばれ、今日もイスラエルの地に残されています。

 今年の受難節、私たちは救い主イエス様の「十字架の道行き」に焦点を当てて、ともに黙想をしています。

 第一の留は先週、関先生がメッセージを語ってくださった「ゲッセマネの祈り」という場面でした。 第二の留は「ユダの裏切りの逮捕」の場面、そして今日は第三の留「裁判にかけられるイエス」の場面です。 一足一足、救い主の足は十字架へと向かっていきます。 第四、第五…と確かにその御顔を十字架へと真っ直ぐに向けて。 そして、ヴィア・ドロローサ(苦難の道)という十字架の道が完成するのです。

 しかし、この苦難の道は苦難の道で終わりませんでした。 この主が歩まれた道の根底には、私たちへの主の計り知れない愛と勝利がありました。 この受難節、私たちはこのヴィア・ドロローサの背後にある主の愛と勝利を、ともに受け取りたく願います。

 皆様にお配りしました「黙想の手引き」を、ぜひ用いて頂けたら幸いです。 受付にもまだ置いてあります。

高木牧人牧師

2020年3月2日

3月1日2020年の週報に掲載

「受難節に入りました」

 この期間は、十字架の主に想いを向け、日々を過ごしましょう。 カトリックの教会に行きますと、十字架の上にイエスが架けられている像を見ることがあります。 対してプロテスタントは、十字架の上にイエスはおられません。

 それは、イエスはすでに復活されたので、十字架の上には居ないという理解から来ていると聴いたことがあります。
 もちろん、私たちは、十字架上のイエスと復活のイエスと、その両方を想うのですが、その両方を一つの目に見える像にするのは出来ないことです。 それが、神の真理を目に見える形にすることの限界です。

 いずれにしても私たちは、受難節の期間は、特に十字架の上のイエスに想いを向けますが、復活の時には、復活のイエスに想いを向けるのです。

 今年も、黙想の小冊子が配布されています。 まず一人で黙想しますが、友人と一緒に、分かち合いの時を持つこともお勧めします。 分かち合うことで、新しい気付きが与えられます。

 主の恵みは日々新しく、尽きることはありません。
 今年も、新しい恵みをいただきましょう。

関真士牧師