2008年10月17日

10月19日週報に掲載

 毎週水曜日の祈祷会では、聖書通読の箇所に合わせてメッセージを語っているが、先週の箇所は使徒の働き5章であった。そこには「アナニヤとサッピラ」の事件が記されている。

 教会の草創期において人々は、自分の財産を売ってそれを教会に捧げ、教会はそこから貧しい者達に分配するということが行われていた。アナニヤとサッピラという夫婦は二人で相談の上、土地を売った代金の一部を残しておいたまま、それが全額だと偽って捧げたのである。その偽りの行為に対して、ペテロは「あなたがたは聖霊を欺いている」と語った。自らの行為が暴露された二人は、その場で息を引き取ってしまったのである。そこに神への恐れが生じ、聖霊の臨在の確かさを見た結果、さらに多くの人々がイエスを信じて仲間に加えられていったのである。

 教会に財産を捧げた者たちは、あくまで自発的にしたのである。もし代金が惜しければ、それを捧げる必要はなかったのだ。誰も要求していないのに、なぜアナニヤとサッピラは偽ってまで、献金をしようとしたのか? それは人の目を気にしたり、人からの栄誉を求めたからである。もし私たちの捧げものが、強いられて、惜しむ心で、廻りを気にしたものであれば、神はそれを喜ばない。神が求めているのは、額面ではなく、私たちの献身である。

 教会リニューアルにおける献金は、喜びから出たものでなければならない。喜びから捧げられたもの、それは種まきと同じで、何千倍に増えて刈り取ることになる。どうか、神と自分との関係をより豊かなものにして、平安のうちに種を撒いていただきたい。

関牧師



2008年10月10日

10月12日週報に掲載

 もう数ヶ月するとホノルルマラソンが始まる。私もいつかは走ってみたいと思っているが、大会が日曜日であることがネックになっている。礼拝に間に合うためには、3時間を切らないといけない。ちょっと厳しいものがある。
 マラソンに限らず、最後まで走りぬくためには、二つのことが重要になってくる。それは「動機と目的」である。動機がスタートであり、目的がゴールである。厳しい状況が迫ってきたとき、ある人は「自分は何のために、こんなことをやっているのか?」とスタート自体に疑問を投げかけることがある。あるいは「あともう少し頑張ればゴールが待っている」とゴールに目を向けて、今の厳しさを乗り越えようとする人がいる。いずれにしても、動機と目的をしっかり持っていれば、必ず乗り越えることが出来る。

 信仰の旅においても同じであろう。様々な局面の中で二つのことを明確にしておかなければならない。「何で旅を始めためのか?」「ゴールはどこにあるのか?」 動機と目的である。

 特に私たちは「神の御名」を掲げているのだから、その動機は純粋かつ聖いものでなければならない。そして、そのゴールには必ず神の栄光がなければならない。これはキリストの教会にとって絶対はずせない枠組みである。


 動機は何だろう? 単に自分たちの便利さや快適さのためなのか?

 目的は何だろう? 本当に神の栄光を現すものなのか?

 信仰の旅を歩き抜くためには、この二つを明確に持つことだ

関牧師




2008年10月7日

10月5日週報に掲載

 先週の日英講壇交換は、とても好評だったようだ。日英両語部は、普段同じ建物の中で礼拝していても、時間がすれ違いで、お互いに知り合う機会がなかなかない。これからも講壇交換やピクニックなどを通して一つの教会であることを体感していきたい。近いところでは10月31日のオールセイントイブが日英合同のイベントなる。近年ハロウィーンはとても悪魔的な様相を増してきて、凶悪な事件も多い。この日は、教会で安全で楽しい時を過ごそう。

 教会リニューアルを通して、すでにたくさんの恵みをいただいるが、日英両語部の関係が、より深く親しくなり、またお互いの理解が深まっていることは、大きな恵みであろう。ただし日英両語部の関係は、同じでいい部分と違っていい部分を見極めていかなければならない。言語が違うということは、文化や思考体系が違うということである。私たちの一致とは、お互いの違いを理解し尊重し合うところにある。もっと進むと、その違いを楽しみ、また活かすのである。日英という二つの言語と部がある教会という賜物をもっと活かしていきたい。

 本日10月5日から11月2日までの5回の聖日に亘って、教会リニューアルをテーマにメッセージを語っていく。そして11月9日は、プリセンスカイウラニホテルで日英合同礼拝となる。今回、初めての試みとして、礼拝後すぐにスモールグループの時を持つ。小グループに分かれて、メッセージにへの応答や、リニューアルへの思いを分かち合っていただきたい。お互いに思いを分かち合うことによって理解が深まっていくだろう。11:15からは通常のコーヒーアワーとスモールクラスになる。ただ本日が第一週なので、そのまま合同クラスになる。

関牧師


2008年9月26日

9月28日週報に掲載

「当真のお父さん、ありがとう!」 
私たちは親しみを込めて当真嗣栄兄のことを「当真のお父さん」と呼ばせていただいる。当真のお父さんは、9月22日6:15PM 主の御許に召された。92歳であった。昨日は葬儀が行われたが、まさに勝利の凱旋にふさわしく、神の栄光に満ちた時であった。紀代子夫人のリクエストで聖歌516番を声高らかに賛美した。「我らは常に勝利、勝利、我らは常に勝利、世に勝ちませる主ともにませば、我らは常に勝利!」当真のお父さんは、死に勝利して天国へ凱旋したのである。

 当真のお父さんは、ホノルル教会の文芸部をリードしてくださり、俳句、短歌を指導してくださった。昨年の観月会では、私も生まれて初めて和歌を詠ませていただき、お父さんの指導にあずかった。お宅に訪問させていただく時には、お腹をすかせて行った。なぜなら当真のお母さんのご馳走にあずかるからである。お父さんは、いつも美味しそうに夫人の料理を食べていた。だから92歳にして大変に恰幅の良い体であった。いつも夫婦で朝早く祈祷会をしておられ、配布されている祈祷課題に沿って祈っていてくださった。真に忠実な祈りの僕であった。お父さんはお相撲が大好きで、読み終わった相撲雑誌をいつも廻してくださった。また大変な研究家で、沖縄の歴史や戦争の歴史などに造詣が深く、私も貴重な歴史の本を貸していただいことがある。おっとまだ、返していない本が一冊あった。思い出は尽きない、しかしまた会える。今度は目を天国に向けて、希望に生きていこう。希望の向こうでお父さんが微笑んでいるのが見える。

関 牧師



当真嗣栄兄の作品
1985年、俳句
  「聖堂に賛美あふれて秋涼し」
1993年、俳句
  「主にすべて委ねて安し感謝祭」


2001年、短歌
  「草は枯れ花は萎みて散りゆくも主のみ教えは永遠に変わらじ」




2008年9月18日

9月21日週報に掲載

 とうとう牧師館の前の道路がきれに舗装された。穴ぼこだらけで、がたがただった道が全部舗装された。見違えるようなスムーズさで、滑るように車が走ってくれる。嬉しい! この日を待ち望んでいた私にとって本当に嬉れしい!

 ハワイの道路行政には一言あるが、この快適さに免じてとやかく言うまい。日本の道路工事現場で働いていた時、ここまでして道路を作るのかと、その技術に驚いたものである。まず、地盤を改良するために、特別な薬品を土にいれて地盤改良する。そして砂や砕石などを何層にも重ねて、何度もローラーで押し固めていく、さらにアスファルトを2層に、場所によっては3層にして固めていく。アスファルトの温度も決まっていて、もし温度が規定より下がっていたら使いものにならない。しかも道路を良く見ると中心線が高くなっていて、水がサイドに流れるようになっている。出来上がった道路は、一見簡単そうに見えるが、見えない所で実に手の込んだ仕事をしている。

 ハワイの道路がそこまで手をかけているかは分からないが、暑い中、綺麗に道路を作ってくれた作業員さんたちに感謝である。道路も建物もそうだが、目に見えない基礎的な部分にどれだけ手をかけているかが大切だ。特に地震や大雨が来た時に、その部分の違いが露呈することになる。

 教会は、主の前に道を備えるものだ。人々が主のもとに行けるように道を造る、神の国の道路工事人である。つまずきのない、真っ直ぐな道を造って、もっと多くの人をお迎えしよう。

関牧師




2008年9月10日

9月14日週報に掲載

 先週は、ショーン尾谷師を講師に「ミニチャーチセミナー」が持たれた。ショーン師はハワイ出身の日系4世で、現在東京の町田で宣教師として奉仕している。日本宣教17年目を迎えたそうだ。
 ホノルル教会でミニチャーチがスタートしてから、ちょうど一年が経つ。去年の同じ時期にショーン師が来られたのを覚えているだろうか。来年もまた是非お願いしたいと思う。
 この1年間で礼拝出席者は増え続け礼拝堂の椅子も一杯になりつつある。洗礼を受けられる方も、続けて与えられている。やはり、閑散とした礼拝よりも、多くの方々が集まる礼拝の方が活気が出てくる。人数が増えること、特に洗礼者が与えられることは大きな喜びである。教会が規模的に大きくなることで、より大きな影響力をこの社会に持つことが出来るし、様々なミニストりーを展開する可能性が出てくる。
 一方で常に言われることだが、教会は量ではなく、質であると。量的増加が、必ずしも教会の健全さの証明にはならない。ここに一種の緊張関係がある。質が良ければ量も増えるはずだ。しかし量が増えると質が変わってしまう。私たちが目指したいのは、質が良いから量が増える。そして量が増えても質が変わらない、ということだ。
 人数が増えたと言っても、まだハワイ在住の9割以上の日本語族の方々は教会に来ていない。まだまだ収穫は多いのだ。福音が語られているなら、人々はこれからも集まるだろう。しかし質が変わってはならない。ここににミニチャーチの存在意義がある。ミニチャーチに参加される方が一人でも増えることを願っている。 

関牧師


2008年9月3日

9月7日週報に掲載

 今日の礼拝では聖餐式が持たれます。プロテスタント教会には儀式が二つあります。それは聖餐式と洗礼式です。16世紀ドイツにおいて、信仰が儀式化し堕落していた教会に対して、宗教改革が行われました。その時に、聖書に根拠を見出せない儀式を極力排除しました。それは当時の儀式化、形骸化への反動という歴史的な必然がありました。しかし、そのような状況の中でさえも、この二つの儀式だけは、排除することは出来なかったのです。なぜなら聖書に、これらを行うことが明記されているからです。つまり、聖餐式とは、それだけ意味のある儀式であるということです。
 私たちの教会では、毎月の第一聖日に聖餐式を持っています。聖餐式には幾つかの意味があります。

  1. 公の信仰告白 聖餐にあずかることは、主イエスに対する信仰の告白です。しかも会衆が見ているわけですから公に公表することになります。つまり聖餐にあずかることは「私はクリスチャンです」というのと同じことです。
  2. 契約の更新 私たちは聖餐にあずかる毎に、主との新しい契約を結ぶのです。それは「私は、今も主を信じています」という信仰の継続を告白することになります。
  3. 教会の証明 私たちは聖餐にあずかることによって、ここに主イエスの教会があることを表します。

 聖餐式に用意されているパンと杯は、主イエスの十字架の救いを象徴しています。主の十字架の御前で、自らがどのように立つか、ここに全てがかかっています。

関牧師