2015年1月16日

1月18日2015年の週報に掲載

 いつからイエス様を信じる者をクリスチャンと呼ぶようになったのでしょうか? 使徒の働き11章にその事が記されています。

 クリスチャンとは、自分で名乗ったのではなく、呼ばれたのです。私たちもクリスチャンと呼ばれる存在になりたいのです。

 アンテオケに集まるイエスを信じる者たちを、周囲の人々は一年の間、ずーと見ていました。そして、その集まりの一番の特徴として「キリスト」を見たのです。ですからキリスト者、すなわちクリスチャンと呼んだのです。

 自分を一年間観察してもらって、その後果たして「クリスチャン」と呼ばれるだろうか? とてもそんな自信はありません。しかし、アンテオケの教会の人々には、「神の恵み」が見えていたのです。自信がなければ、なおさらのこと、神の恵みを受け入れ、恵みに生き、恵みを分かち合うのです。その時、きっとイエス・キリストが現されるのです。

 私たちが、クリスチャンと呼ばれる存在になれるとすれば、神の恵みに生きることです。自分で頑張って呼ばれようと獲得するものではありません。ただ、私のために死んでくださったキリストと共に生き、感謝し、喜ぶのです。

関牧師

2015年1月9日

1月11日2015年の週報に掲載

 キリスト教徒のことを、キリスト者という。カタカナにするとクリスチャンです。

 クリスチャンと聴いて、どんなイメージを持っていましたか? あるいは、今はクリスチャンとしてどんなイメージを持たれていると思いますか?

 使徒の働きに登場するアンテオケ教会。この教会に集まった人々が、歴史上初めてクリスチャンと呼ばれたのです。クリスチャンという呼び名は、キリスト教徒自身が付けたのではなく、教会の外の人が付けたニックネームなのです。

 ニックネームとは、その人の特徴をとらえてつけられるものです。アンテオケ教会にキリストを信じる者たちが集まり始めて1年間たった後、彼らはクリスチャンと呼ばれました。

 つまり、彼らの一番の特徴は「キリスト」であったのです。

 もしホノルル教会に集う私たちが、教会の外の方に1年間観察していただいて、ニックネームをつけてくださるとすれば、どんなニックネームになるでしょうか?

 この集まりの、そして集まる一人一人の特徴が「キリスト」であったら、どんなに素晴らしいことでしょうか。私たちは、名前だけのクリスチャンではなく、実のあるクリスチャンとなりたいものです。

関牧師

2015年1月4日

1月4日2015年の週報に掲載

「この男は、まるでペストのような存在で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、」(使徒の働き24章5節)

 「影響力のあるクリスチャン」となりたい。このペストのようなだと呼ばれた男は、パウロのことです。

 パウロを迫害する敵のことばなので、当時大流行していたペストに譬えられたのです。今ならエボラ熱にでも譬えられたでしょう。 いずれにしても、それほどの影響力があったということです。

 私たちは、廻りの人にどのような影響を与えているでしょうか? あなたがそこに居ることで、愛、喜び、平安…、イエス様の影響が拡がっていくなら素晴らしいです。

 咳をしたら隣の人に風邪がうつります。クリスチャンが咳をしたらイエス様の愛がうつる、そんな存在でありたいと思います。

 クリスチャンが、教会が、そこにあることで、騒ぎが起こるほどに、キリストの福音の力が現されますように。私たちは、この地域にあってインパクトのある存在となりましょう。

関牧師

2014年12月26日

12月28日2014年の週報に掲載

 2014年、最後の主日を迎えました。この一年を振り返り、神の恵みに心を留め、感謝をもって締めくくりたいものです。

 東京聖書学院で学んでいる角田利光兄からのニュースレターに「そもそもエクササイズ」というものが紹介されていました。

 そもそも なぜ私は今ハワイにいるのか? そもそも、なぜここで礼拝しているのか? そもそも なぜ私はこの事を悩んでいるのか? そもそもと考え始めると、大事なことに気づけそうですね。

 そもそもの答えが、「私が」という主語ではなく、「神が」という主語を持つ時に、分かるようになります。

 神は確かな計画をもって私たちの人生を、そしてホノルル教会を導いてくださっています。そして、神の計画の中にある時に「すべての事が益とされるのです。」

 この一年、起こった出来事の裏側にある、神の計画に心を向けて、すべてのことを最善に、すべてのことが祝福に変えられると信じて、すべてのことを感謝いたしましょう。

 この一年間も、足りないだらけの牧師ですが、皆様の愛と忍耐、そして何よりも祈りによって支えていただいことを、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。新しい年も、共に主を見上げて前進してまいりまでょう。

関牧師

2014年12月18日

12月21日2014年の週報に掲載

 今週は若者たち13名が、皆様の祈りに送り出されてECカンファランスに出発します。旅の安全と祝福をさらに祈りましょう。

 今年も24日(水)の夜は、キャンドルライトサービスです。6時半から始まります。どうぞご家族、ご友人を誘ってお集いください。聖なる一時を過ごしましょう。

 クリスマス。それは神が人なってこの地上にお生まれくださった時です。聖書は「誰も天に上った者はいない、しかし天から降って来た方いる。」と言います。

 私たちは、もっと高くもっと高くと、上を目指して上っています。しかし、その上った先には何があるのでしょうか? もっと、もっと…しかしいくら上っても頂上の影すら見えてきません。

 聖書は今だかつて天に上った者はいないと言います。しかし天から降って来た方がおられるのです。救いとは、人間の努力で達成されるものでありません。上に登れる一部の人だけが到達するものでもありません。すべての人を救うために、神の方から降りて来てくださった、これがイエスの誕生です。

 救い主イエスに出会うには? 高い所では会えません。自らを低くするなら、会えるのです。 

関牧師

2014年12月12日

12月14日2014年の週報に掲載

 待降節(アドベント)第三週となりました。救い主の誕生の意味の豊かさを新たに体験する時といたしましょう。

 神が人となられたという出来事を「受肉」と言います。肉体を受けられたということです。ですから私たちの信仰も「受肉」したものでなければなりません。

 目に見えない霊的な世界と、目に見える世界とが結び付いていなければならないのです。私たちが信じ日々体験している、神の愛、赦し、平安、喜び、永遠の命…、それらが確かに目に見える形で現れるのが、神の御心です。

 その現れは、私たちの隣人との関係の中にこそ現れます。先週は「平和」について語りました。平和の秘訣は「赦し」です。まず自分自身が赦され、そして隣人を赦す時に、キリストの平和が目に見える形となるのです。

 信仰と実際の生き方が切り離されることなく、受肉したものでありますように。私たちの実際生活の中で、キリストの恵みを証しすることが出来ますように。

このクリスマスの時、神が人となられたことが、今の自分にとって、どれほどの意味があるのか、しばし黙想しながら考えてみましょう。       

関牧師

2014年12月5日

12月7日2014年の週報に掲載

 本日は、待降節(アドベント)の第二週です。アドベントとは、アドベントゥスというラテン語からの言葉で、「到来」を意味します。救い主の到来を待ち望むという意味になります。

 クリスマスは、クライスト(キリスト)、マス(ラテン語で礼拝の意味)です。キリストを礼拝します、という意味になります。これにMerryが加わると、「祝!キリストを礼拝します。」という感じになります。

 ですから、最近アメリカではメリークリスマスと言わないで、Happy Holyday という言い方をします。キリスト教徒でない方にとって、メリークリスマスは抵抗があるのでしょう。でも、それは当然のことで、個人の信仰の自由は尊重されるべきです。

 私たちは、この時、意味を込めて、自らの信仰告白として力強く「メリークリスマス」と言いましょう。

 本日12月7日は、ハワイにとって特別な日です。真珠湾攻撃の日です。1941年、ちょうどその年も、7日は聖日でした。かつてここから、世界中に争いが拡がっていきました。しかし、今度は、この島から世界中に、キリストの平和が拡げられていきますように。今日は、真珠湾攻撃の攻撃隊長で、有名な「トラトラトラ」(我奇襲に成功せり)の暗号を打電した淵田美津雄大佐の話をします。彼は、後にキリスト教の伝道師になります。淵田大佐の人生を変えたものとは?

関牧師