2020年5月22日

5月24日2020年の週報に掲載

 ハワイのロックダウンがさらに一か月延長され、6月一杯までとなりました。 段階的に解除していくということですが、社会が元の状態に戻るためには、さらに日数が必要となるでしょう。

 教会の再開も、不透明な状況です。 7月から再開されたとしても、ソーシャルディスタンスや、消毒などを考えると、一気に元の状態には戻せないでしょう。 フルマラソンを走り出しました。 短距離走と長距離走では、使う筋肉の質は、まるで違うらしいです。 短距離の筋肉は堅く、長距離は柔らかいのだそうです。
 どちらも、必要ですが、長距離走に入った私たちは、特に柔らかさが必要とされます。

 これまで教会が使わなかった筋肉かもしれません。 使い慣れていない筋肉ですから、最初は筋肉痛になるかもしれませんが、運動を続けると慣れてきます。

 この問題が終わったとき、これまでとは違った、新しい教会の姿が出来ているでしょう。 それは、教会がキリストの体として、また一歩キリストのお姿に近づくチャンスです。 多くの教会にとって変化することは困難です。 しかし、今は変われるチャンスです。筋肉の質が変わる、つまり教会の質が変わるということです。
 主の成されることに期待していきましょう。

関真士牧師

2020年5月18日

5月17日2020年の週報に掲載

 今から約2000年前、使徒パウロはローマの人々に手紙を書きました。 彼は、その手紙の冒頭とも言える1章で、このようなメッセージを伝えます。

「私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでも分け与えて、あなたがたを強くしたいからです。 というより、あなたがたの間にあって、あなたがたと私の互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。」 (ローマ人への手紙1章11、12節)

 使徒パウロはローマの人々に「会いたい」と切に望みました。直接会って、信仰による励ましを互いに受けたい、と切に願いました。 当時、彼はその願いを手紙に綴って、ローマの人々に伝えたのです。

 私自身、この状況にあって、使徒パウロの「会いたい」という思い、直に信仰による励ましを互いに交わしたい、という主にある交わりに対する飢え渇きに、強い共感を覚えます。皆さんは、どうでしょうか?

 使徒パウロの時代とは違って、現在は電話やメール、インターネットが普及し、まるで直に会っているかの如く感じることのできる環境が整いました。 これは本当に感謝なことです。
 でも、やっぱり1ヶ月半前までは当たり前だった教会という「主に呼び集められた者たち」の温かい家族の情景を思い出すと、格別だったなぁ、と私は感じます。

 そのような特別な交わりを待ち望みつつ、この時を過ごしていきたく願います。

高木牧人牧師

5月10日2020年の週報に掲載

 このような状況ですが、現在、「コロナパンデミック後」ということが良く議論されます。

 この問題の後、社会はどうなっているのか? あるいは、教会は、どうなっているのか?

 歴史の中で、このような疫病の大流行の後には、社会の仕組みや、人との関わり方というものが変わってきました。
 教会は、どう変わるでしょうか?

 これを危機と取るか、好機と取るか?
 教会が物事を判断していくのに大切なのは、もちろん聖書です。 もっと具体的に言うと、聖書が教えている事で、特に、教会、礼拝、交わり、宣教ということが関わってきます。

 この機会を、好機とするためにも、聖書の真理に根差して、この時代の教会の在り方を模索していきましょう。

関真士牧師

2020年4月30日

5月3日2020年の週報に掲載

 Stay Homeのこの時、運動不足にならないようにと、散歩を心掛けています。

 マノアの街は、散歩には本当に良いところです。 風に吹かれ、道の花や木々にホッしながら、個性的な家を見ながら楽しく歩いています。

 世の中は、大変な事になっていますが、それとは対照的に、自然は何も変わらずにいます。 指先で簡単に折れてしまう一輪の花は弱そうで、しかし、強いなと感じる今日この頃です。

 このような危機的な状況にあって、私たちは普段から何に拠って立っているのかが問われます。 自然の強さとは、その存在が神に拠って立っている所にあるのだと思います。

 このコロナ騒動を通して、私たちが拠り頼んでいたものが、なんと不確実なものであるかが分かります。 今こそ、人間は、神に立ち返るときです。

関真士牧師

4月26日2020年の週報に掲載

 ハワイ州がロックダウンになって、1ヶ月が経ちました。 この1ヶ月は教会にとっても、また私たちにとっても、これまでの活動的な生活を止めた。 ある意味、非日常な期間を歩まされています。

 皆と集まりたくても集まることができません。 外に出かけて思いっきり羽を伸ばしたくても、それをすることができません。 今まで当然のようにしていたことができなくなってしまったのが今の状況です。

 多くの方が家にいること、家族と過ごすことがこれまでよりも格段に増えたことでしょう。 そのような「非日常」は、良く言えば、私たちを新しい生活へと導いてくれます。

 私自身も今まで味わったことのないこの「非日常」から、日々色々なことを語られ、教えられています。

 私たちの神は、私たちに語りかけ、大切なことを気づかせてくださるお方です。 この「非日常」にあっても、神様の御旨を悟らせていただく者でありたく願います。

高木牧人牧師

2020年4月23日

4月19日2020年の週報に掲載

 神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する。 これが私たちの生き方であり、神の国のルールです。 愛の反対語は、恐れです。 愛のない所には、恐れがもたらされます。

 買い占めに走る人がいます。それを見て、買い占められると大変だと恐れて、買い占めに走る人がいます。 実際に、必要以上に買ってしまっている人の大半は、恐れによって行動しています。

 このウィルスは、人との接触がなければ、その感染はかなり抑えられます。 不要不急の外出を避けることを、人との接触を出来るだけ減らすことを皆が心がけることが大切です。

 今回のコロナ禍で、最も問われていることは、自分を愛するように隣人を愛することだと思います。 自分中心に物事を考え、行動してしまう時、このウィルスは拡がるのですから。

 私たちは、何を拡げるのでしょうか。 それは、ウィルスではなく、愛するという生き方です。 それが神の国を拡げることになります。 パウロは、ユダヤ人から「この男はまるで疫病(ペスト)のような人間」(使徒24:5)と訴えられました。
 それくらい彼の宣教は感染力を持っていたということです。 私たちが、拡げるのは、もちろん疫病ではなく、福音です。 コロナウィルス以上に、これを拡げていきましょう。 

関真士牧師

4月12日2020年の週報に掲載

 主の復活を心から喜びます!

 今最も試みられている事の一つは、教会の在り方でしょう。個人の信仰も振るわれていますが、それ以上に「集まれない」ということにおいて、教会が振るわれているのだと思います。なぜなら教会とは、まさに「呼び集められた者たちの集まり」だからです。集まりである教会が、集まれないのです。

 そこで改めて考えてみたいと思います。私たちは、どこに集まるのか? です。教会という集まりは、目に見える場所のことだけなのでしょうか。

 「どこに?」という問いかけに対して、2207 Oahu Avenueと答えるならば、私たちの集まりは無いことになります。
 でも、「イエス・キリスト」と答えるなら、今も集まりは有ることになります。

 私たちは、集まれないのではありません。私たちは、イエスのもとに、今も、集められているのです。私たちを一つにするのは、場所ではなく、イエスへの信仰なのです。

 確かに、ホノルル・キリスト教会は、今も有るのです。

関真士牧師