2018年6月8日

6月10日2018年の週報に掲載

 2018年度という新しいスタートを切ろうとしている今、私はこの1年、特に2017年11月にホノルル教会に遣わされてきてからの出来事を思い返していました。今年度、私たちこの教会に与えられた年度聖句(イザヤ書43章19節)が、この週報の表紙に掲げられています。
「見よ。わたしは新しい事をする。」
という神の約束を握って歩んだ新しい1年。新しい事がたくさんありました。

 そしてこの年度替りという節目から、新しい年度、新しいステージへと差し掛かった今、新年度の聖句を求めて、皆さまから寄せられたみことばに注目している中で、また、関真士牧師と話す中で、私は愛する弟子達に放たれた、主イエス様の十字架に架かる前の最後のメッセージのみことばが心に響いていきました。

「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。」ヨハネの福音書15章5節

 私たちは、主イエス様というぶどうの木につながる枝です。私たち全員がとどまるべき木は、主イエス様ただひとりです。このお方にとどまるから、人は実を結ぶのです。

 私が見たもの、それは主イエス様にとどまる私たちが沢山の実を結ぶ情景でした。新しい事をなさる神に、私たちキリストの教会は大きな期待を胸に前進していきましょう!

高木牧人牧師

2018年6月1日

6月3日2018年の週報に掲載

 今年度の、年間聖句の提出は今日までです。集められた御言葉を、関牧師と高木牧師が、吟味して、主の御心を祈り求めていきます。

 これは毎年の楽しみな作業です。皆さん違った箇所の聖句を持ってきますが、不思議と一つの流れがあり、主の御心が浮き彫りになってきます。そして、牧師の心の中にあった思いとも一致します。

 教会の頭は、イエスご自身です。教会の霊的リーダーである牧師が、年間聖句を決めるというスタイルも悪いことではありません。しかし、あえてそれをしないで、教会全体に御言葉の示しを求める理由は、教会を導いているのは、牧師や一部の信徒ではなく、主ご自身であることを示すためです。
 教会とは、徹頭徹尾、主イエスのものであり、主イエスの御心が行われる所であり、主イエスの御名が崇められるところなのです。

 ですから、年度代わりだけではなく、常に、主の御心を求め続けるのが教会の健全な姿です。  教会にとっても、そこに集う一人ひとりにとっても、主の御心に従うことが、祝福の秘訣です。どうぞ、この年間聖句の制定のために、心を合わせてお祈りください。

関真士牧師

2018年5月25日

5月27日2018年の週報に掲載

 教会における「交わり」(Fellowship)とは、神から与えられた恵みです。
 それは、ただの仲良しグループとか、気の合う者同士の集まりとかではありません。教会における「交わり」とは、人生を共に生きることです。

 共に生きるとは、この聖書のことばに集約されています。
「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」

 共に生きるとは、喜びも悲しみも、共有していきることです。教会には、老若男女、様々な人があつまります。産まれる喜びもあれば、召される悲しみもあります。結ばれる喜びがあれば、離される痛みもあります。癒されたという喜びがある一方で、病を得たということがあります。人生のすべがあるのが教会です。

 私たちは、その相手と自分が、いつも同じ状況にあるとは限りません。自分が辛い時に、喜んでいる人と一緒に喜ぶことは容易でありません。また自分が喜んでいる時に、悲しんでいる人と一緒に悲しむことも容易ではありません。

 しかし、そこで心を寄せていくのは、教会の主であるイエスが喜んでおられるから、イエスが悲しんでおられるからです。この御言葉の通りの交わりが実現するのは、一人ひとりが、イエスの心に想いを向けていくときなのです。

関真士牧師

2018年5月18日

5月20日2018年の週報に掲載

 吉田文人&直実 牧師夫妻をお招きできたことを心から感謝いたします。

 文人先生は、2007年12月に当教会で受洗し、その後東京聖書学院で学び、現在は熊本植木キリスト教会で牧会をしています。熊本地震の時には、震源地の隣町にある教会が被災し、大変な中を通られました。しかし、その時に福島で牧会をしていた直実先生が震災ボランティアに来られ、そこで二人は出会ったのでした。

 さらに、植木教会と合併したことで、植木教会の教会堂を使用することになり、以前よりもかなり広い建物になりました。

 震災は、間違いなく辛いことでしたが、その中にも神さまの不思議な導きがあり、二人は一つになり、二つの教会も一つになりました。

 文人先生がハワイにいた時、「自分は何がしたいのか分からない」言っていました。そんな彼が、イエスを信じ、洗礼を受け、神と共に歩む人生をスタートし、神に天職が与えられ、今や牧師として活躍しているのを見る時に、主の計り知れないご計画に、ただただ感無量です。

 神と共に歩む人生はドラマチックです。神は確かな計画をもって私たち一人ひとりをこれからも導いてくださるのです。

関真士牧師

2018年5月11日

5月13日2018年の週報に掲載

 5月2日~5日にかけて、富士山の麓にて開催されたGlobal Returnees Conference(帰国者クリスチャンの修養会)に出席してきました。新しいつながり、新しい視座を頂いた祝福いっぱいのカンファレンスでした。

“帰国者は日本で教会に定着するのが難しい。”
 これまでもずっと言われ続けているこの課題に、最後の集会ではメッセンジャーの先生を通して、主はこのように語られました。

「私たちの国籍は天にあります。」ピリピ3:20

 新しい環境に一生懸命、順応しようと頑張らなくていい。そのままでいい。なぜなら、私たちの真実のホームは、アメリカでもなければ日本でもない。天の御国なのだから。

 天の喜びに溢れて語られる先生の姿に、私自身大きな励ましを頂きました。

 ハワイの地に建てられているホノルル・キリスト教会。私たちもそれぞれ様々な背景があって、きょうこの所にいます。
 「私」を取り巻く環境は移り変わります。しかし、「私たち」のホームは永遠に変わらない。その事実を深く噛み締めて、新しい1週間も天の喜びの中を歩んでいきたいと思います。

高木牧人牧師

2018年5月4日

5月6日2018年の週報に掲載

 高木牧人牧師と金子千恵さんの婚約を心から祝福します!

 ここに至った経緯は、いずれ本人から聞くとするとして、私たちは、神が今ホノルル教会に送ってくださっている波に乗っていきたいと思います。
 この婚約は、両人にとっては、当然人生における一大転機です。同時に、ホノルル教会にとっても、主が送ってくださった牧師に伴侶が与えられるということは大きな転機となります。

 牧師不足が叫ばれる中で、二人の牧師が与えられていることは、本当に主からの恵みです。これから二人が牧会に加わることで、さらに広く、深い、牧会が出来ることでしょう。

 ホノルル教会は、神の祝福をたくさんいただいています。祝福とは、いただいて終わりではなく、祝福を受けた者は、祝福の存在となり、祝福を与える者になります。
 ホノルル教会は、祝福の源となります。今年度の聖句の通りに、荒野のオアシスのようになります。

 これから主は、どんなに素晴らしいことを起こしてくださるのでしょうか。新しい牧師夫妻が与えられるという祝福は、教会のこれからの歩みにとって、どんな意味があるのでしょうか。主が始めておられることが、成し遂げられますように。

関真士牧師

2018年4月27日

4月29日2018年の週報に掲載

教会(Church)とは何でしょう?

この建物のことでしょうか?

日曜日のこの礼拝のことでしょうか?

 もともと新約聖書が書かれたギリシャ語では、教会とは「召し集められた者たち」という意味があります。

 教会とは、この建物でも、この礼拝でもなく、「私たち」のことなのです。今日も主の御名によって、この一つ所に召し集められた私たち、私たちが教会です。

 最近、思わされること…それは、教会は「キリストのからだ」であって、確かに“生きている”ということです。人の集まりですから様々な変化があります。なぜなら、キリストをかしらとして“生きている”からです。

 私たちが教会であり、キリストのからだです。ですから、私たちは、誰ひとりも欠けてはならないのです。私たちはキリストにあってひとつ、キリストに結ばれた神の家族です。

「教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。」エペソ1:23

きょうも、教会(キリストのからだ)は、“生きています!”
ハレルヤ!!

高木牧人牧師

2018年4月24日

4月22日2018年の週報に掲載

 人生は山あり、谷あり。困難、苦難は、容赦なく襲ってきます。しかし、その戦いのただなかで、「宴会が設けられる」のです。

 「人生は茨の道、されど宴会」とは、順天堂大学病院腫瘍病理学教授の樋野興夫先生のことばです。先生は「ガン哲学外来」を開設し、ガン細胞に哲学的な意味を見出そうと試みています。この働きは日本全国に拡がり、ガン哲学カフェのようなものが80か所以上活動しています。

 ガンに限りません。私たちが直面する様々な問題に対して、その問題が全てではない、最終結果ではない、その問題の向こうに何があるかを考える、それこそ「信仰」の世界です。

 そして、困難、苦難、戦いのただなかで、宴会を開くのです。ガンになったから、落ち来なければならないという決まりはありません。苦難があるから、苦しく生きるという決まりはありません。その中でも、喜び歌うことが出来るのです。

 喜び歌うような場合ではない時こそ、喜び歌い、宴会を開くのです。

 その喜びの根拠は、神が自分の存在そのものを喜んでいてくださるという事実にあるのです。

関真士牧師

2018年4月13日

4月15日2018年の週報に掲載

 「宴」シリーズの今日が2回目です。毎週の礼拝は、まさに「宴会」セレブレーションです。

 私たちは、喪に服しているのではありません。主は蘇られました。主は今も生きておられます。
 復活の主に出会った弟子たちが狂喜乱舞したように、私たちも喜ぶのです。
 そして、この礼拝という宴会の主催者は神ご自身であり、私たちは、招かれた者たちなのです。

 「よろこび」という漢字は、いくつあるでしょうか。
 喜び、歓び、悦び、慶び...

 歓びはにぎやかさを、悦びは満足を、慶びはお祝い事を、表しているそうです。それぞれニュアンスが違いますが、喜びは、その総称のような感じでしょうか。

 復活の主を礼拝する喜びは、どの漢字を使っても十分に表現しきれるものではありません。それくらいに、この世のすべて「喜び」に、まさる「よろこび」です。
 今日も、主と共に喜びの宴に参加しましょう。

関真士牧師

2018年4月6日

4月8日2018年の週報に掲載

 先週は喜びの復活祭礼拝でした。主イエス・キリストの復活の勝利は、私たちに与えられている希望です。主の十字架と復活は、永久に死という敵を滅ぼしたのです。私たちには、永遠という希望が与えられています。主とともに生きる「きょう」というこの日、私たちは、すでに永遠の中に入れられているのです。

賛美「この日は 主イエスが造られた」

この日は 主イエスが造られた この日を 喜ぼう!主と共に
この日は 主のものだから 共にこの日を喜ぼう
この日は 主イエスが造られた

 皆さんは教会が好きですか?

 愛する神の家族と共に主を喜び、礼拝するこの日が好きですか?

 私は大好きです。
 愛する皆さんと共に主を礼拝して新しい1日、新しい1週間を始められるこの日が、いつも待ち遠しいです。

 勝利の十字架と復活から、この4月、関先生と話し、与えられたテーマは「宴」です!

 私たちは、勝利の旗を掲げて、きょうも主の御前を楽しみ喜び、共に永遠という希望の中を前進していきましょう!
 私たちは永遠に続く「神の家族」です!

高木牧人牧師

2018年3月30日

4月1日2018年の週報に掲載

 今日は、復活祭です。私たちの信仰は、「空の墓」の上に立つと言われます。イエスが、この地上に実在され、歴史の事実として十字架で死なれました。だから「墓」があります。架空の人物には「墓」はありません。
 しかし、「墓」はあっても、それは「空っぽ」です。なぜなら主は蘇られたからです!

 「空の墓」とは、イエスの十字架と復活の事実を私たちに示します。十字架と復活、これこそ私たちの信仰の拠り所です。

 イエスが墓に葬られた時、横穴式の洞穴に大きな石が蓋として置かれました。そしてローマ皇帝による「封印」が押されました。
 大きな石、ローマ帝国の封印、何が何でもイエスを墓から出さないという強い力が働いています。目に見える物理的な重い石、目に見えない権力としての封印。

 しかし、イエスは、その墓の石を動かし、封印を打ち破って、復活されました。

 この世のどのような力をもってしても、イエスの復活を阻止することは出来ないのです。  イエスは確かによみがえり、今も生きておられます。これは科学の問題ではなく、信仰の事柄なのです。

関真士牧師

2018年3月23日

3月25日2018年の週報に掲載

 今日は、棕櫚の聖日(パームサンデー)です。今日から受難週に入ります。30日の聖金曜日礼拝、1日の復活祭と続きます。

黙想

 十字架のイエスの正面に立っていることをイメージして。

 何が見えますか?

 何が聞こえますか?

 何を感じますか?

 あなたは、何と応えますか?

 主の十字架を想いながら、

 恵みの深みへと導かれていきましょう。

関真士牧師

2018年3月16日

認知症セミナー

連合主催で「認知症 爆発の時代を迎えて」セミナー集会がハワイのホノルルで行われます。ぜひご参加ください。

日時:3月24日2018年(土)午前10時よりー12時まで

場所:ホノルル教会 (Honolulu Christian Church)
   2207 Oahu Ave.

入場無料です。 お気軽にご参加ください。
教会は駐車場が少ないので、空きスペースがない場合はストリート・パーキングをお願いします。

詳しくは、チラシをクリックしてください。


3月18日2018年の週報に掲載

 いよいよ受難節も佳境に入ってきました。来週から受難週に入り、30日の聖金曜日礼拝、1日の復活祭へと続きます。

 今年は、「勝利の十字架」というテーマを掲げていますが、イエスが十字架にかかるまでの一連の出来事の中に「霊的な戦い」があったことを読み取れます。しかし、イエスは圧倒的な勝利をおさめ、十字架に自らがかかります。そして復活に至り、その勝利は完結するのです。

 昨日、妻のれいと共に無事にハワイに戻りました。日本についてから、驚くほど元気で、食事、歩行、体調が守られました。多くの方々に祈られているのを実感しました。お祈りを心から感謝いたします。

 この出来事を通して、新しく何かが始まっていることを強く感じます。ただ健康が元に戻るだけではなく、新しいミニストリーが始まっていくのだと思います。主は、この経験のすべてを益として、神の働きのために用いてくださいます。夫婦ともども、献身を新たにして、主に仕えていきます。

関真士牧師

2018年3月9日

3月11日2018年の週報に掲載

 関真士先生、れい夫人が東京聖書学院の卒業式に出席されるために、日本にお出かけになりました。私も共に学んだメンバーの卒業式で、先日、色々なことを思い巡らしながら、一人一人にカードを書いていました。今、聖書学院には、いよいよ主の働きの現場、その最前線へと遣わされようとしている卒業生たちがいます。

 去る水曜日は、関勇矢兄が4月から東京聖書学院に入学するために、ハワイを発ちました。これから聖書学院という学び舎に導かれようとしている方々がいます。

 先日は、日本にいる友人から河津桜の写真が送られてきました。「ああ、もう春なんだなぁ」と、改めて思いました。日本は年度末、様々な変化のある時期です。

 移りゆく時を私たちは生かされています。聖書学院をこれから卒業する方々。一方で入れ替わって入学する方々。桜が咲き始める年に1度のこの時。7年前の今日は、東日本大震災という悲劇が日本を襲いました。荒野に道を、荒地に川を設ける神様がなさろうとしておられる「新しい事」(ホノルル・キリスト教会の年間聖句)に、私たちは期待と希望を胸に歩ませて頂きたく願います。

高木牧人牧師

2018年3月2日

3月4日2018年の週報に掲載

 主は、良いお方。God is good all the time.

 主が良いお方だとなぜ分かる? それは、主は良いお方だから。

 主が良いお方だと分からないのは、主を知らないから。主を知ったら、主が良いお方だと分かる。なぜなら、主は良い方だから。

 私たちの側の感覚や感情によって、主が変わるわけではない。主は、永遠に変わることのない方。私たちが主を作るのではない、主が私達を造られた。

 私達は、変わる。でも主は変わらない。主の愛は、永遠に変わらない。

 主は、常に、良いお方。それは永遠に変わらない。だから、私たちは、常に主を賛美する。主を喜ぶ。主を慕う。

 この受難節の時、主の十字架が分かったら、主が良いお方であることが必ず分かる。求めよう。

関真士牧師

2018年2月23日

2月25日2018年の週報に掲載

 教会の暦では、私たち、教会は受難節(レント)を歩んでいます。神の御子である主イエス様が、十字架という底辺へと下られた苦しく険しいその道です。神の御子が十字架へと下られた道。礼拝堂には正面に十字架があります。私たちはこのシーズン、特別この十字架を仰ぎ、思いを巡らしたいと思います。

 聖歌396番に「十字架のかげに」という賛美歌があります。3節の歌詞を紹介します。
「十字架のかげを 求めつづけん 険しき坂を登るときも おらせたまえ この身を主よ 十字架のかげに とこしえまで」

 主イエス様の十字架のみもとに、私たちの赦し、平安、いやし、希望があります。あなたは、今どのような道を歩んでいるでしょうか?どんな道に立たされていたとしても、私たちは、すでに苦難の道を歩まれ、勝利をとられた主イエス・キリストの十字架のかげに、この身、この心をおきたく願います。この新しい1週間も、共に十字架の前へと歩み出させていただきましょう。

 「彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私達に平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」イザヤ書53章5節

高木牧人牧師

2018年2月16日

2月18日2018年の週報に掲載

 献身とは、文字通り、神にすべてを捧げることです。その意味は、自分の人生に「神の御心の通りになりますように」と祈り、またそのように生きることです。

 本来、もともと私たちのすべては、神のものなのですから、すべてのクリスチャンは献身者です。しかし実際に、自分の意志で、自覚的に献身を告白するとなると、躊躇される方もいます。

 牧師になるかどうか、神学校に入るかどうかは、神の召しによりますから、すべての人に求められていることではありません。しかし、そのように召されている人がいるのも事実です。

 森宗孝兄は、お仕事をリタイヤされてから、その道に進みます。関勇矢兄は、大学を卒業してすぐに、その道に進みます。私が学生の時には、上は72歳から下は18歳までが、一緒に机を並べていました。

 神の召しは、老若男女を問いません。もしかしたら、あなたも、その道に召されているかもしれません。一度は、祈ってみましょう。 そして、フルタイムかどうかにかかわらず、「御心の通りに」と祈るなら、本当の祝福は、この祈りから始まってくのです。                 

関牧師

2018年2月12日

2月11日2018年の週報に掲載

 今週の14日から、受難節(レント)が始まります。ちょうどバレンタインデーの日です。

 バレンタインデーの由来は次のようです。ローマ帝国クラウディウス2世の時代、兵士の士気を下げないために、結婚が禁止されました。しかし、キリスト教会のバレンタイン牧師は、隠れて兵士の結婚式を挙げていました。それが発覚し咎められたのですが、バレンタイン師は断固それを拒否し、それでもなお結婚式を司式しました。そしてとうとう捕えられて処刑されたのです。いわゆるチョコレートを上げるというのは、製菓会社が始めたことで、実際の由来とは関係がありません。

本来のバレンタインデーとは、「結婚の祝福」です。それは男女の愛です。愛と言っても、いわゆる自分の欲望を満たすための手段ではありません。真実の愛、本当の愛です。

レントの期間、イエスの十字架の意味が分かれば分かるほど、本当の愛が分かります。神は愛です。そして愛は神から出ています。その愛の発出する所が十字架です。なぜ酷い刑罰の道具である十字架が愛のシンボルとなって首元を飾るのでしょうか? なぜ、十字架が愛のしるしなのでしょうか?本当の愛を求めて、このレントの期間を過ごしましょう。

関牧師

2018年2月2日

2月4日2018年の週報に掲載

 先週は、関勇矢兄の「献身の証詞」がありました。牧師としては、ホノルル教会から献身者が起こされることは、大きな祝福です。働き人が一人居なくなることになりますが、それ以上の報いが教会に与えられます。それは、これまで何度となく経験してきたことです。このようにコンスタントに献身者が起こされる教会は、そう多くはありません。ホノルル教会には、このような献身者を起こすという働きが、主から与えられているのだなと思わされます。

 この3月に聖書学院を卒業する角田兄、金子姉と入れ替わるようにして入学しますが、森宗孝さんサンディさん夫妻も一緒に入学することになり、なんとも楽しそうです。

 父親としては、自分の息子が、父親と同じ道に導かれたのは、本当に嬉しいです。しかし、この世界は世襲制ではありません。勇矢自身が神からのコーリングをいただき、それを選び取り、自分の足で一歩を踏み出したことが一番嬉しいことです。

 イエスは「収穫は多いが、働き手が少ない」と言われました。さらさらに、献身者が起こされますように。神学校に入ってフルタイムの働き人になることに限らず、イエスの心を自らの心として主に仕える者たちが起こされますように。

関牧師

2018年1月26日

1月28日2018年の週報に掲載

 先週は、サンフランシスコにて、教団の牧師リトリートがあり、関真士牧師と共に出席してまいりました。当たり前ですが、ハワイとは気候が違います。スカッと目が覚めるような冷気、久しぶりの寒さを体験しました。静かな環境の中での主との1対1のクオリティタイム、そして牧師同士の特別な交わりが与えられました。感謝いたします。

 2018年も始まったと思ったら、もう今日から1月最終週です。時の流れというのは、振り返ると早く感じます。しかし同時に、最近強く神様から教えられていることがあります。それは「時」というのは常に「新しい」ということです。新しい年、新しい週、新しい1日が、時を生きる私たちには与えられています。時の中で、全く同じ瞬間というのはありません。

 生活の中で私たちは、どれだけ「新しさ」を発見しているでしょうか?神様は日ごとに私たちに「新しい恵み」を注がれます。聖歌604番に「数えてみよ 主の恵み」と歌う賛美があります。大きな青空、広い海、心地良い風、出会い、今日ここに来たこと…数えてみると、どんなにたくさんの新しい主の恵みが私たちを取り囲んでいるでしょうか!

 神様がご支配されている永遠に続く「美しい時」を新しいこの日から、また共に体験させて頂きましょう! 

高木牧人牧師

2018年1月19日

1月21日2018年の週報に掲載

 今日は、関勇矢さんの「献身の証詞」があります。「献身」とは、神にすべてを捧げることです。もちろん私たちのすべては、もともと神のものですから、全てのクリスチャンは献身者のはずです。しかし、あえて、自らの意志をもって、神にすべてを捧げて従うと決心をし、そのように生きる人を「献身者」と呼んでいます。

 その「献身者」の中で、さらに牧師、伝道者、宣教師など、フルタイムで神の働きをする人は、神学校に行って学びと訓練を受けるのが通常です。

 現在、ホノルル教会からは、角田利光兄(4年インターン生)と、金子千恵姉(一年生)が東京聖書学院で学んでいます。今年の4月には、関勇矢兄と、森宗孝さんが、入学予定です。関兄は24歳、森兄は60歳を過ぎです。私の学んでいた時には、下は18歳から、上は70歳までの方が机を並べて学んでいました。

 「主よ。私をあなたの御心のままに、ご自由にお用いください」と、自分の自由を、神の自由に捧げたとき、真の自由を経験します。「献身」もう一度、この言葉の意味を深く考えてみましょう。

関真士牧師

2018年1月12日

1月14日2018年の週報に掲載

「主の恵みは永遠まで」 本当に、主の恵みが尽きることがありません。順風満帆な時も逆風の時も、喜びの時も憂いの時も、晴れの日も雨の日も、どんな時に、主の恵みは私たちを取り囲んでいます。

れいが病を得てからのことをブログに書き綴っています。どうぞ、お読みください。
http://blog.goo.ne.jp/sanwa5510459

 人は、揺れ動く者です。何も分からない者です。科学が進歩することで、かえって人間の限界が分かります。人間が決して踏み越えることのできない、踏み越えてはいけない、神の領域があります。その境界線を守ることが平安の秘訣です。

 そして、人間としての限界を知り、自分の領域を知ることによって、私たちは安心して全力を尽くすことが出来るのです。
 信仰とは、主を見ることです。今日も、主を見上げましょう。そして、なすべきことを忠実に行いましょう。その時、道は開けてきます。

関真士牧師

2018年1月8日

1月7日2018年の週報に掲載

 今年はイブも日曜日、31日も日曜日と、区切りのいい暦です。今年ラストの礼拝には、私たちの愛する中野雄一郎先生が礼拝でメッセージを語ってくださいます。

 この一年も、私たちは与えられた人生を生きてきました。様々なことがありました。楽しく嬉しいこと、辛く悲しいこと…。しかし、どんな時にも主は共にいてくださいました。人生には、答えの出ないこと、不条理なことが多々あります。しかし、ただ一つ明確な答えは、主は共におられるということです。

 この真理は、私たちの不安や恐れを一瞬で消し去る、圧倒的な平安をもたらします。

 箴言3章6節「すべの道で、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」
 すべての道に、主はおられます。主は良いお方です。

 新しい一年も、主と共に歩み続けましょう。

 今年、一年、皆様と共に主を礼拝し、祈り合い、励まし合い、支え合えたことを心から感謝します。

関真士牧師